文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏
伊藤莉々奈(いとう・りりな)さん|国際環境NGOグリーンピース・ジャパン
千葉県船橋市出身。旧姓は白井。千葉県立津田沼高等学校で学んだあと、2011年3月に武蔵野大学環境学部環境学科環境学専攻(現 工学部サステナビリティ学科)を卒業。在学時は武蔵野大学管弦楽団に所属し、コンサートマスターや部長を務めた。小学4年生から始めたバイオリンは今も続けている。環境に興味を持ったのは、自然や命の大切さを教えてくれた両親の影響であるという。現在は一女一男の母で、趣味は手芸や裁縫、庭いじりと、子どもたちとギャイギャイ遊ぶこと。
「学費は自分で払う」と決め、前のめりに学んだ
高校3年生のとき、その先の道筋を見据えていた。いずれ環境に関わる仕事に就きたいという夢を抱いた。
現在、国際的な環境保護NGOである「グリーンピース・ジャパン」に務める伊藤莉々奈さんは話す。
「大学進学を検討したとき、『将来、自分は何がやりたいんだろう?』と考えたんです。そして、中学3年生のころに自由研究で環境問題を扱ったことを思い出したんですね。地球温暖化や水不足、あるいは森林破壊など幅広くまとめたんですが、その時間はとても充実していました。であれば、環境と人との架け橋になる仕事に携わるのがいいだろうし、そのためにも大学では環境のことを追求しようと思いました」
興味のある環境学に焦点を当てて進路を探している際、武蔵野大学の人間関係学部環境学科環境アメニティ専攻(2009年4月に環境学部環境学科環境学専攻に改組)に出合う。オープンキャンパスで構内を訪れると、自然豊かな環境にも魅了され、武蔵野キャンパスで環境について学ぶことに決めた。そして、指定校推薦で合格を勝ち取った。
新生活はとかく忙しかった。大学の講義に加え、通称「むさオケ」として親しまれる武蔵野大学管弦楽団でバイオリンを弾き、ドレスメーカー同好会でワンピースや浴衣を縫い上げ、週に4、5日程度アルバイトに励んだ。高校のころからアルバイトを続けていた当時を振り返り、「少しでも自立しようという意地だったのかもしれないです」とほほ笑む。「学費は自分で払う」と決め、学外の奨学金を借り、給付型の学内奨学金も得た。
自分で賄っているだけに、前のめりに学んだ。「根が貧乏性なんですよ」と冗談めかし、伊藤さんは続ける。
「大学で学べることはできる限り学んでやろうと思って、多くの講義を受けるようにしました。環境学科環境アメニティ専攻だけでなく、教職の授業も取りましたね。結局、先生にはなりませんでしたが、母校の中学校で教育実習を行い、理科の中学校教諭一種免許状を取得することができました」
座学にとどまらず、キャンパスを飛び出した学びも楽しかった
環境学科では幅広い土台ができたと実感している。環境生理学や環境経済学、音環境学や色彩環境学、さらには生物学や物理学など、自分たちを取り巻く要素がそれぞれの生活にどのように影響しているかを多面的に学ぶことができた。
座学にとどまらず、キャンパスを飛び出した学びも楽しかった。特に印象に残っているのが、環境プロジェクト特別演習の一環として取り組んだビオトーププロジェクトだ。地域の動物や植物が安定して継続的に生息できる空間を「ビオトープ」と呼び、10人ほどのグループで生物に優しい環境づくりを推し進めた。同じキャンパス内にある武蔵野大学附属幼稚園に加え、西東京市立田無小学校を主な舞台として「人と自然との深いふれ合い」をテーマに自然を整えた経験は、環境を守る意識をより強めた。
矢内秋生教授のもとで過ごしたゼミの時間も忘れられない。伊藤さんはほがらかに言う。
「ゼミ合宿で秋田県に行ったんですよ。秋田県は日本海から吹く風を生かした風力発電が盛んなんですが、確か男鹿市を訪れて海岸沿いに並ぶ風力発電設備を見学したり、港の方たちに風をどう利用しているか体当たり取材をしたりしました。ナマハゲを見たり、ハタハタを食べたりした観光も楽しかったですし、自然環境と人の暮らしがどう関わっているのかを間近で見られたのは刺激的でした。矢内先生のゼミでは、ある企業と連携して箱根の森の活用法を考えましたし、将来につながる学びができたと思います」
3年次には視野をさらに広げている。花王株式会社が手がける社会貢献活動に参加し、「花王・みんなの森の応援団」というプロジェクトをサポートした。特定非営利活動法人根来山げんきの森倶楽部が和歌山県の根来山で展開する活動を取材して記事を執筆。笑顔が絶えない元気な森林づくりの現場では、「自然のなかに入っていろんなことを楽しむという思い」に深く感銘を受けたという。
「子どもが二人生まれてから環境に対する思いがより強くなった」
入学以前に考えていたように、就職活動では環境に関わる企業や団体に的を絞っている。ただし、アメリカの投資銀行大手だったリーマン・ブラザーズの経営破綻をきっかけとして発生した世界的な金融危機、いわゆるリーマン・ショックの影響を受けた就職氷河期が訪れており、就活は決して簡単ではなかった。
「なかなか内定が取れない人が多かったですね。私自身に関して言えば、ほかの志望者と比べて専門知識で少し劣っていた部分はあるかもしれません。たとえば『緑化に携わりたいです』と言っても、であれば専門性の高い農学部の志望者を採用しますよね? ですから、環境学科で広く学んだ部分をいかに前向きにアピールするかを意識しました」
その戦略が見事功を奏し、貴金属のリサイクル事業を展開する企業への採用が決まる。その会社では貴金属部の営業職に配属された。金属を買い取る日々を過ごすなか、より自然や生物に近く寄り添いたい思いが強まっていく。今度は好きな動物を守る仕事がしたいと考え、通信講座で学び、動物看護師の資格を取得した。第一子である長女の出産前まで動物病院に勤務している。
長女の出産後は、「やはり環境活動に携わりたい」という思いから、環境コンサルティング、都市緑化、里山保全など「環境」と名のつく事業を幅広く手がける会社に就職する。その会社は森林再生や地域振興に取り組むNPOも両輪で回しており、健康的な森づくりを学び、その必要性を伝え、支援者たちとともに地域をめぐり、森に入り植樹をするなど、みどりに関する活動に励む日々は楽しかった。けれども、二人目の子どもが生まれ、自然豊かな場所でのびのびと子育てをしたいと千葉県の外房地域に一戸建てを購入したのを機に、ワークスタイルを見直すことになった。在宅でも仕事ができる道を探し、グリーンピース・ジャパンへのキャリアチェンジを図った。
現在は、グリーンピース・ジャパンが運営する「ゼロエミッションを実現する会」の事務局で働く。全国の市区町村の参加者とともに、自治体に向けて気候変動問題の原因とされる二酸化炭素の排出量を実質ゼロに抑えるための対策をとってほしいと働きかける取り組みには大きなやりがいを感じている。伊藤さんの声に力がこもる。
「子どもが二人生まれてから環境に対する思いがより強くなった部分はあると思います。子どもは親が何より優先して守らなければいけない存在なのに、地球環境的にその将来が危ぶまれている状況にはものすごく焦りを感じます。未来に生きる子どもたちのために環境問題を解決するのは、私たち大人の責任だと思っています」
環境学科で広く養った視点は今、俯瞰して世界中の子どもたちの将来を考えるうえで大きな武器となっている。武蔵野大学に入学する前に抱いた「環境と人との架け橋になる」という信念を胸に、これからも未来を守っていく。
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
関連リンク
コメントをもっと見る