文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、鷹羽康博
舛屋廉(ますや・れん)さん|学校法人武蔵野大学教学事務部教務課
東京都出身。東京都立杉並総合高等学校で学んだあと、武蔵野大学には指定校推薦で入学した。2024年3月に文学部日本文学文化学科を卒業。教育関連の仕事にもともと興味があり、大学時代は学童保育でアルバイトをしていた。2024年4月から学校法人武蔵野大学教学事務部教務課に勤務する。「学生時代の自分をサポートするイメージで働いています」。趣味の一つは読書で、宮部みゆきや東野圭吾の作品をよく読む。
学部入学式は中止。コロナ禍にあって閉塞感に押しつぶされそうになった
2020年4月、計り知れない不安のなかで武蔵野大学での学生生活が幕を開けた。
2019年12月から新型コロナウイルス感染症が世界中で広まっており、武蔵野大学は感染防止のため2020年4月に予定されていた学部入学式の中止を決定した。類のない病に新たな門出を祝う場を奪われた舛屋廉さんは振り返る。
「今思うと、やはり精神的にきつかったですね。入学式がなかったですし、授業は全部オンラインでした。パソコンに向き合うだけの毎日で、『いつまで続くんだろう……』という心細さしかなかったです」
晴れて文学部日本文学文化学科に入学したのに、自宅に籠る日々が続く。大学のキャンパスを歩きながら数人で他愛もない会話を交わす──普通の大学生が経験するような日常はなかなか訪れず、不要不急の外出を控えるよう呼びかけられたコロナ禍にあって閉塞感に押しつぶされそうになった。
不安と孤独感に苛まれるなか、ある日、舛屋さんはスマートフォンを覗いていた。SNSを見ていると、武蔵野大学バレーボールサークルが新1年生を募集している情報に出合う。実のところ、バレーボールを本格的にプレーした経験はない。それでも、直感的に感じるものがあった。何度かの交流を経て、武蔵野大学バレーボールサークルに入ることに決めた。舛屋さんは明かす。
「そうでもしないと乗り切れないと思ったんです。中学までは野球、高校では硬式テニスと、バレーボールは全くの未経験でしたが、私は187センチと身長が高いので、なんとかなるかなという思いがありました。何より練習に参加してみて、おもしろかったんですよね」
オンライン授業でも友人ができた。チャット機能で話してみると、住んでいる場所が近いことがわかり、連絡先を交換した。サークルの先輩や同級生、あるいはオンライン授業を通じてできた友人たちと接しているうちに、不安と孤独感は徐々に消えていった。
2年生のときにプレゼミで「もともと好きだった」書道と俳句を専攻
結局、武蔵野キャンパスに通えるようになったのは3年生に進級するころで、「だから2年間は大学に行っていないんです」と顔をくもらせる。
それでも、あるいはだからこそ、最初の2年間の印象は強い。たとえば1年次に受けた石川めぐみ先生 の「英語基礎B」。「せっかく大学に入ったんだから、英語もがんばってみようかな」と思い立って受講した選択科目で、わずか数人の少人数制だったぶん、オンラインを通じて思い切って英語で会話することができた。
在籍する日本文学文化学科でも、2年間で大きな学びがあった。2年生のときにプレゼミで「もともと好きだった」書道と俳句を専攻する。書道は中学生のときに始め、俳句は高校の授業で学んではまっていた。舛屋さんは言う。
「書道は自由です。平安時代の書体を使ってもいいし、逆に今っぽい字体を使ってもいい。自由に書けるのがおもしろいんです。大学時代は文学部の学内表彰があって、運よく努力賞が取れました。俳句は季語が原則1回しか使えないとか、五七五で読むのが基本とか、そういった縛りのなかで言葉を使って何かを表現するというのが醍醐味ですね。井上弘美先生から学んだプレゼミの最後には作品集をつくって、教室全体で発表をしました」
俳人でもある井上先生が編纂した俳句集『発信──武蔵野大学俳句アンソロジー』(ふらんす堂)には舛屋さんが詠んだ一句が収められている。
五回裏 青葉が歌う 応援歌
中学まで打ち込んだ野球を題材にした俳句で、スポーツ活動も制限されたコロナ禍だからこそ、のびやかな光景を切り取ってみせた。
対面授業が始まった3年次からは三浦裕子先生の伝統芸能ゼミを受講している。たとえば能の起源や歴史に加え、能の舞い方も学び、3年次の12月には「武蔵野大学能楽資料センター開設50周年記念」として雪頂講堂で行われた野村万作さんや野村萬斎さんによる狂言を目の当たりにして圧倒された。
「教養を身につけた4年間」を土台に、母校の職員として働く
卒業論文は映画『おおかみこどもの雨と雪』と『ごんぎつね』をはじめとする動物文学との関係性に焦点を絞り仕上げた。最上級のSという評価を受け、三浦先生からは「新鮮な考察でよかったですよ」という言葉をかけてもらった。
書道と俳句、能に狂言、それから映画と動物文学を追求した武蔵野大学での時間は曰く「教養を身につけた4年間」だった。
今は「教養を身につけた4年間」を土台に、母校の職員として働く。2024年4月、学校法人武蔵野大学教学事務部教務課に入職した。もともと教育関係の仕事に就きたい思いがあり、4年生になって就職活動に臨んでいたとき、キャリアアドバイザーから「武蔵野大学の事務職の説明会があるから出てみたら?」と勧められ、心が躍った。面接を重ね、2023年9月21日の夕方、犬の散歩をしている際にスマートフォン越しに合格を告げられた。
入職してまだ3カ月ほど、「覚えることがたくさんあります」と身を縮めるが、表情は充実している。教務課では上司と二人で政治学科を担当しており、パズルのピースを組み合わせるように主に来年度の時間割をつくっている。楽しく学んでもらえる仕組みを構築している感覚だという。上司からは「常に学則を意識するように」と伝えられており、政治学科をよりよくすべく「自分を取り巻く社会環境を理解し、公共精神と共生の視点をもった市民としての能力・技能を身につけることによって、持続可能な社会の形成に貢献できる人材を育成する」という言葉を胸に刻む。
意欲に満ちた新米職員は、大学に通えない2年間と、ようやく通えた2年間を過ごしたからこそ、母校である武蔵野大学の魅力を強く感じている。舛屋さんの言葉に力が入る。
「2021年4月にはアントレプレナーシップ学部2024年4月には世界初となるウェルビーイング学部と、どんどん新しい学部を設置するなど前進を続ける大学ですし、仏教を基礎とした人格教育を行っている点も大きな特色だと思います。今年、創立100周年を迎えて、より前向きな空気も感じています。卒業生である職員として、母校の魅力を、もっともっと伝えられたらと考えています」
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
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