校友トピックス

令和6年7月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

7月の聖語

「先生方は皆 師と生徒の境を越えて 人間と人間との接触から私達を導こうと努力された」

武蔵野女子学院一期生 八重樫勝子

7月の聖語は、武蔵野女子学院(のちの武蔵野大学)一期生 八重樫勝子さんの言葉です。

武蔵野女子学院が創設されたのは1924年、関東大震災の翌年のこと。皆さんもご存じの通り、この地震では神奈川と東京を中心に大火災が発生し、あたり一面火の海と化しました。

その傷跡がまだまだ残る中、八重樫勝子さんをはじめとした武蔵野女子学院一期生たちや先生方が、どのような状況・心境にあったかは想像に難くありません。幼き生徒を前に、先生方は一体何を思ったのでしょうか。

「築地校舎は、改修工事を施したとはいえ、バラック建てに等しい粗末なものであった。近辺には災害の爪痕もいまだ色濃く残り、生徒や教職員の気分はなかなか落ち着かない。そこで、焼け野原の緑化計画が持ち上がり、ケヤキやモミなど、入手できる限りの草木を空き地で栽培することにした。校舎と校舎のあいだにある猫の額のような空間にも、焼け残ったレンガや瓦を集めて花壇を造る。そこに学生たちの植えたコスモスやダリヤが咲き、校舎の景観は見違えるように華やいだ。

『高楠順次郎 世界に挑んだ仏教学者 碧海寿広著』P127より」

八重樫勝子さんの今回の聖語で感じるのは先生方の「覚悟」です。自分自身の生活もある中、生徒も導かなくてはならない。必死の覚悟で生徒たちと接していたことでしょう。

本気で向かってきてくれる人との出会いは人生の宝です。
八重樫勝子さんも先生方との出会いがあったからこそ、過酷な状況下においても希望の光を失わずにいられたのではないでしょうか。

皆さんにも覚悟を持って接してくれる、そんな人との出会いはありましたか?

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