同窓会組織・支部・会員のみなさんにお話を伺いました。
坂本 奈那さん|くれない会会員
武蔵野女子学院中学校卒業(2002年度卒)・高等学校卒業(2005年度卒/高校57回生)。2009年3月、立教大学理学部数学科卒業。2009年、学校法人共立女子学園共立女子中学高等学校に奉職し、現在に至る。
どのようなお仕事をされていますか?
都内私立の中高一貫女子校で、数学科教諭をしています。現在、13年目になります。
部活動は高校バトン部の顧問をしています。今年度で全国大会に連続で18年間出場することができました。ちなみに高校時代はバトン部に所属していました。
担任は11年間持っています。教諭2年目で中学2年生の初担任に。5年間持ち上がり、卒業生を送り出しました。その後、中学1年生の担任となり、そのまま6年間持ち上がって、2度目の卒業生を送り出しました。
現在まで文化祭運営員会の責任者や入試業務、受験指導など多岐に渡って担当させていただき、充実した教師生活を送っています。
学校生活では、どんな思い出がありますか。
私が数学科教諭になるきっかけとなったのは、城田先生との出逢いです。中学1年生の時に教科担当でお世話になり、数学が大好きになりました。熊のような大きな体で生徒を追いかけながら指導する場面もありながらも、一人ひとりの生徒のことをよく見てくださる城田先生の姿に憧れを抱きました。
また、高校3年生の体育祭で舞った「荒城の月」は思い出の一つです。体育科の菅野先生がご定年を迎えられる年でもあったので、荒城の月を踊った後に菅野先生の元に皆で泣きながら駆け寄ったことをいまでも覚えています。現任校にも伝統的な荒城の月があり、毎年荒城の月を見る度に当時を思い出しています。
振り返ると、どの先生方ともそれぞれの思い出があり、素晴らしい先生方に恵まれて6年間を過ごすことができたな、と感謝の気持ちでいっぱいです。
学校生活での思い出の場所を教えてください。
2箇所あります。
1箇所目は、校舎と体育館の間にあったコンクリートの校庭です。バトン部の活動場所でした。地面がコンクリートだったので、靴底に穴を空けたスニーカーは何足になったか数え切れません。
2箇所目は、図書館です。定期試験前や受験勉強等でよく利用しました。長期休みにも開館しているときは利用しました。時折、先生も利用しているお姿を拝見し、私も頑張ろうと励みになっていました。
ご当地自慢は何ですか?
現在、結婚をして東京都足立区に住んでいますが、つくばエクスプレス青井駅近くの商店街では、毎月第4日曜日には朝市がおこなわれています。
朝7時に花火が打ち上げられるこの朝市は、1978年4月より40年以上継続されているものだそうです。私も、毎月朝市に足を運び、無料でいただけるお味噌汁で身体をポカポカにして、お買い物を楽しんでいます。
他にも、北千住駅が近いので、よく利用しますが、メディアで取り上げられるような飲食店が多数並んでいて、おすすめスポットです。
ライフワークを教えてください。
念願の夢であった教師となり、挑戦することの大切さを感じるようになり、演説大会に出場して約700名の前で演説を行いました。20代しか出られない大会でしたが、なかなか審査を通過することができずに何年も挑戦をして、29歳のときにギリギリで本戦出場を達成することができました。
あとは、運動不足解消のために20代ではタヒチアンダンスを約4年ほど、現在はよさこいを約6年ほどやっています。よさこいのお祭りには友人や教え子を呼んで見てもらうこともあります。お客さんが皆笑顔になってくださるのを見て、とても嬉しくなります。
ずっと応援しているアーティストはL’Arc~en~Cielです。約23年間ファンをしています。いまでも中高時代の友人とライブに欠かさず参戦しています。
同窓生に向けたメッセージをお願いします。
数ある私立学校の中で武蔵野で過ごした学生時代の思い出は、何年経っても色褪せることはありません。それぞれのライフワークがあるため、歳を重ねると状況によっては同級生と会う機会は少なくなっていきますが、SNSを通じて近況報告をしたり、久しぶりに顔を合わせることがあれば、不思議とすぐに当時の関係に戻ることができます。
人生で大きな悩みや困難に出くわしたとき、最終的な決断を下すのは自分自身ですが、誰かに相談したいなと思ったときに思い浮かぶのは中高時代の友人です。なかなか会えていなくても、お互いにとって誰かの支えとなることもあるのが学生時代に出逢った友人なのかな、と思います。
みなさんも、心に刻まれた学生時代の思い出や一緒に過ごしてきた友人を大切に、今後も力強く生きていただければ…と願っています。
関連リンク
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学部・学科は卒業当時の名称です。
コメントをもっと見る