同窓会組織・支部・会員のみなさんにお話を伺いました。
大沼 賀世さん|むらさき会会員
山形県鶴岡市出身、現在は山形県寒河江市在住。
1995年3月、武蔵野女子大学文学部日本文学科卒業(1994年度卒)。
1997年3月(1996年度)、立教大学社会教育講座学芸員課程修了、学芸員取得。1997年4月より2010年9月まで(公)致道博物館に学芸員として勤務。現在は同館評議員、非常勤学芸員。
どのようなお仕事をされていますか?
武蔵野女子大学卒業後、立教大学社会教育講座学芸員課程に2年間通って学芸員資格を取得しました。(大学卒業後に学芸員をとりたいと相談にのっていただいたのは司書課程でお世話になった、元杉並区立郷土博物館館長の朝倉雅彦先生でした。)
立教大学卒業後、1997年から2010年まで父が館長を務める山形県鶴岡市の公益財団法人 致道博物館に学芸員として勤務しました。当館は1950年に開館した山形県庄内地方の考古・歴史・民俗・美術資料を展示公開している施設で、地域の観光文化拠点です。私は展示企画および広報などの仕事をしていました。結婚後は非常勤学芸員・評議員をしています。
学校生活では、どんな思い出がありますか。
思い出に残る先生は元学長の大河内昭爾先生です。『食の文学館』の編集長として地元へ取材でお越しになったご縁で、この先生の元で学びたいと思い入学しました。卒業後も文学の旅へご一緒させていただき、作品を読むだけではわからない文学の楽しさを教えていただきました。
大学時代は裏千家茶道部に所属していました。今は無き紅雲台のお茶室は毎週練習に通い、摩耶祭ではお茶会を開催した思い出の場所です。春と夏には合宿があり、朝から晩までお稽古漬けで、正座のしすぎで筋肉痛なんてことも…体育会系な文化部でした。
2016年に茶道部創立50周年お茶会のご案内をいただき、約20年ぶりに大学を訪れました。思い出のお茶室で先生や当時の先輩後輩にも再会でき、うれしい時間を過ごすことができました。
学校生活での思い出の場所を教えてください。
大学生活の後半は大学の売店でアルバイトをしていました。茶道部で教科書販売のお手伝いをしたことがきっかけで、約2年間お世話になりました。
学校帰りや空き時間には、学校正門前のファミレスや喫茶店でおしゃべりに花を咲かせていました。また、学校帰りにはお友達とバスで吉祥寺駅まで行き、おいしいお店を探して、お茶や食事を楽しんでいました。
ご当地自慢は何ですか?
私は山形県鶴岡市の出身ですが、今は寒河江市に住んでいます。同じ山形県でも海に近い庄内地方と内陸地方は文化や食も違いますが、山形県内全市町村には温泉があり、おいしいお米、お酒やワイン、山海の幸やフルーツなどが食べられる食の都です。
出羽三山(羽黒山・湯殿山・月山)は古くから信仰と修験の山として知られ、羽黒山の杉並木の中にそびえる国宝五重塔は幽玄です。
また寒河江市には国指定史跡で東北随一の巨刹の慈恩寺があり、千年の歴史を持つ仏像など多くの文化財に出会うことができます。
ライフワークを教えてください。
子育て中なので、まだまだ子供中心の毎日です。自然豊かな山形を体験させたいと、夏はキャンプや川釣り、海水浴へ出かけ、冬は雪国ならではの雪遊びやスケート、スキーを一緒に楽しんでいます。(すべて車で約1時間圏内なのが自慢です!)
嫁ぎ先が千代寿虎屋という酒蔵なので、必要なときには裏方の手伝いもしています。
高校時代から始めた茶道は、今も大切な趣味で、のんびりとお稽古を続けています。学生時代に茶道部で渉外担当をしていたこともあり、学生時代の他校の友人たちとは今でもお茶のご縁が繋がっており、うれしく思っています。
同窓生に向けたメッセージをお願いします。
私の宝物はこれまでの出会いと体験です。私の頃は武蔵野女子大学で、私は田舎から上京して門限付きの厳しい学生会館で一人暮らしでした。とにかくすべてが初めてだらけの4年間。
大学での学びはもちろん大切、でも学生ならでは、学生だからこそ、是非いろいろなことに積極的にチャレンジしてみてください。今はコロナ渦で簡単にはできないことも多いけれど、日本全国そして世界を旅したり、多くの人と出会って、たくさんの初めての体験を楽しんで世界を広げてほしいです。
みなさんにとって大学時代が宝物になりますように。
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※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学部・学科は卒業当時の名称です。
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