文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=小黒冴夏
大山清美(おおやま・きよみ)さん|有限会社ヤマオー事務機 取締役店長
東京都杉並区出身。1976年に武蔵野女子大学短期大学部の家政科を卒業。思い出の場所の一つがグリーンホールで、そこにあった学生食堂をよく利用していたという。短大時代には教習所に通い、普通自動車免許を取得。現在はオープンカーを走らせ息抜きをする。知り合いに、武蔵野大学の教育学部児童教育学科を卒業し、和太鼓奏者、津軽三味線奏者、篠笛奏者として活躍する塚本隼也さんがいる。
「世界に一つの洋服」を仕立ててくれた母の存在が進路にも影響
大好きな母の背中を追っていたら、武蔵野女子大学短期大学部にたどり着いた。そんな気もしている。
東京都中野区にある有限会社ヤマオー事務機で取締役店長を務める大山清美さんは、遠い記憶をなぞりながら声を弾ませる。
「私の母は洋裁がとても得意な人で、私の洋服を全部つくってくれていたんですよ。『世界に一つの洋服よ』と言いながら育ててくれた影響がすごく大きかったと思います」
ガタゴトいうミシンの音が懐かしい。小さいころ、本で可愛いサマーワンピースを見つけて「お母さん、これがほしいな」とお願いすると、夜なべして翌日にはほとんど同じワンピースをつくってくれた。中学生のときには素敵なワンピースを着ていた友人を自宅に連れて帰り、「ねえ、お母さん、この洋服をつくって」と頼み込むと、数日後には同じように仕上げてくれた。文房具店を営みながらも、うれしそうに「世界に一つの洋服」を仕立ててくれる母が大好きで、いつもミシンの横に椅子を置いて座って作業を眺めていた。
3歳年上の姉が武蔵野女子学院中学校・高等学校(現 武蔵野大学中学校・高等学校)に通っていた。体育祭の応援に行ったとき、圧倒的な広さと環境の良さに感動した。自身も高校からの入学を考えていたが、得意なソフトボールの強豪校へ進む道を選んだ。
ソフトボールで全国大会出場を果たした高校時代、大好きな母に近づきたい思いもあって進路相談で「洋裁学校に行きたいんです」と伝えると、先生に武蔵野女子大学短期大学部の家政科を勧められた。推薦の枠があるという。
「そのとき、大学や短大の家政科では洋裁を勉強できるんだと初めて知って。もう一つの短大も候補にあったんですが、姉が通っていたキャンパスということで憧れもあったし、家から近かったので武蔵野女子大学短期大学部に迷わず決めました」
洋裁、和裁、料理、育児学、児童心理学などの授業は何より楽しかった
入学してすぐの、忘れられないエピソードがある。姉の体育祭の応援に行った際に感じた「圧倒的広さ」に惑わされてしまった。大山さんは苦笑する。
「体育の授業にソフトボールをしたんです。私は全国大会に出ていたし、違う学校でソフトボールをやっていたお友だちと組めたこともあって、とても楽しめました。でも、終わったら教室に帰る方向がわからなくなって。広すぎて、キャンパス内で迷子になっちゃったんですよ。ぐるぐる回りながら『緑が多くて素敵な大学だね』とお友だちと言い合った場面が強く印象に残っています。同時に、広くて穏やかな環境でじっくり勉強できるんだなと感じました」
「短大は2年間なのであっという間でした」と振り返るが、得たものは少なくない。特に専門分野が多くなった2年次の学びは、母親になり、祖母になった今も大いに生きている。洋裁、和裁、料理、育児学、児童心理学などの授業は何より楽しかったし、武蔵野女子大学短期大学部の家政科で過ごした2年間が日々の生活に役立ってきた。「生活に根差した学びができる家政科に入って本当に良かったと思っています」と話す。
2年間を締め括った一つが卒業論文だ。シャツやスーツ、ジャケットの袖口を留める「カフリンクス」に焦点を絞った。日本では「カフス」や「カフスボタン」とも呼ばれる装身具の歴史や種類、どんなシーンでどんなタイプを身につけるのかがマナーなのかなどを調べてレポートにまとめた。「インターネットのない時代でしたから、本を何冊も読んでと結構な時間がかかりましたね」。そう振り返る一方で、卒業制作は無難に仕上げたという。
「白いスーツを3日間ほぼ寝ずに完成させました。子どものころから母の横で裁ち方や型紙の取り方などを見て育って、自然に洋裁の基礎を覚えていた影響もあるかもしれません」
息子からもらった、なんでも家事と仕事を無難にこなす姿に対する最大限の賛辞
1976年3月に卒業した。「やりたいことをやれる場所に行けた。それが一番うれしいかな」と顔をほころばせる。
卒業後は石油会社に就職。26歳のとき、文房具の営業に励む男性と結婚した。文房具店を切り盛りする母と海産物の卸を営む父が先に知っていた男性で、両親を含む周囲から強く後押しされた。一男一女に恵まれ、武蔵野女子大学短期大学部の家政科での学びを生かし親の務めを果たしてきた。
結婚から半年ほど、1982年に夫が独立している。母の店舗の一角を事務所に借りたこぢんまりとしたスタートだったが、今は文房具の販売だけにとどまらず、印刷や製本、デザインも手がける。顧客には地元の学校や大手企業もいる。
「地道に営業をしていると『印刷はやってくれないの?』と言われて、印刷機を入れて、人を採用して。そうすると、今度は『製本はやっていないの?』と聞かれて、製本機を入れて、また人も入れてという感じで、大きくなってきました。今は十数台の印刷・製本機械が第一工場と第二工場に入っていますね」
自身も結婚し、10年ほど前に社長に就任した息子に、あるとき「お母さんは特殊なんだから」と言われたことがある。なんでも家事と仕事を無難にこなす姿に対する最大限の賛辞だった。大山さんはうれしそうに話す。
「裁縫も料理も大好きだし、子育ても楽しめた。武蔵野女子大学短期大学部の家政科での2年間は自分の人生にとってプラスでしかないですね。親の影響もあって、とにかく家のことが好きなんですよ」
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※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
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