武蔵野マガジン

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「いつも人に優しく生きようと思っています」|鈴木鞠花さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏

鈴木鞠花(すずき・まりか)さん|箏演奏家
東京都出身。武蔵野女子学院中学校・高等学校(現 武蔵野大学中学校・高等学校)で学び、2019年3月に武蔵野大学文学部の日本文学文化学科を卒業。大学時代は邦楽部琴之音会の部長を務めた。中学時代に好きだった先生の一人は音楽科の杉浦みずほ先生で、「穏やかで優しい接し方と相性が良かったんです」と話す。高校時代はボランティア部に所属し、田無駅や武蔵境駅周辺での募金活動の呼びかけや、樹華祭時に銀杏並木での募金活動の呼びかけを行った。高校3年次に沖縄を訪れた修学旅行も思い出の一つで、沖縄美ら海水族館や首里城が特に記憶に残っている。2020年4月から芸術短期大学で箏(こと)*を専門的に学んでいる。趣味は友人と車で旅行に出かけること。行く先々で写真を撮影する。読書も癒しの時間になっている。
*琴柱(ことじ)を用いる絃楽器。「琴」は琴柱を用いない。

好きだった場所は誰にもじゃまされない中庭

武蔵野生として10年間を過ごした 武蔵野生として10年間を過ごした

小学生のときに学校説明会に訪れたところ、「雰囲気がおおらかで、自然体で学校生活を送れそうだな」という前向きな直感を抱き、入学を決めた。

中学、高校、大学の10年間を武蔵野生として過ごした。120カ月間、あるいはおよそ4600日間にわたる思い出は豊富だ。鈴木鞠花さんは言う。

「10年間を振り返って、ぱっと思い出すのはやっぱり高校3年生のときの体育祭で踊った『荒城の月』ですね。本番以上に、体育の授業が印象深いかもしれません。あそこの大きなトラックで、みんなで心を一つにして練習に励みました」

「荒城の月」は武蔵野女子学院高等学校(現 武蔵野大学高等学校)の伝統の一つで、中高生が参加する体育祭で高校3年生の全員が扇子を手に舞う姿は壮観だ。多くの卒業生と同じように、鈴木さんの記憶にも中高一貫校の集団生活の集大成でもある日本舞踊が刻まれている。

中学時代は器械体操部に在籍 中学時代は器械体操部に在籍

武蔵野女子学院中学校(現 武蔵野大学中学校)在校時にさかのぼれば、器械体操部の活動が思い起こされる。中学1年生から3年間、放課後は「跳馬」や「段違い平行棒」、あるいは「平均台」といった種目が行われる競技に打ち込んだ。高校生と一緒の練習は刺激的だった。

「年上の方たちと一緒の空間は充実していました。すごく上手な先輩がいたんですよ。どの技もとても素敵で。私自身は決してうまくはなかったんですけど、中学時代はその先輩に憧れて一生懸命に器械体操に取り組みました」

中高時代で好きだった場所は中庭だ。休み時間や昼食の時間に、ちょっとした空間で一人ぼんやりと物思いに耽ってひと息つく。陽だまりで何も考えずにただ座っていたこともある。誰にもじゃまされずにゆったりと過ごせる中庭は、頭ごなしに否定されることがなく、それぞれの個性をしなやかに受け入れてくれる校風を象徴する場所だったと感じている。

大学時代は、邦楽部琴之音会の活動にも励む

大学は文学部日本文学文化学科に進学 大学は文学部日本文学文化学科に進学

最初の印象どおり「雰囲気がおおらか」で息苦しさのまったくない環境で中高の6年間を過ごした鈴木さんは、高校卒業後、武蔵野大学の文学部日本文学文化学科に進学した。昔から読書が好きだったのが理由の一つだった。

大学時代の4年間は日本文学を学ぶかたわら、邦楽部琴之音会の活動にも励んだ。武蔵野大学の公認団体で、主に生田流の箏を演奏した。鈴木さんが説明する。

「小学校のときのクラブ活動でお箏をやっていたので、また挑戦してみたいなと思ったんです。先輩がわかりやすく教えてくれる環境で、大学祭の摩耶祭でミニコンサートを開いたり、3泊4日の合宿をしたり、毎年冬に定期演奏会を行ったり、楽しかった思い出しかないですね」

大学時代から箏を続けている 大学時代から箏を続けている

箏の演奏は自分の幅を広げてくれた。箏、三味線、尺八を演奏する大学生で構成される「関東学生三曲連盟」の合奏会にも参加し、広い視野から大きな刺激を受けた。大学3年次には琴之音会の部長に就任。リーダー的な立ち位置は生まれて初めての経験だったが、強いリーダーシップを発揮するのではなく、みんなの意見に耳を傾ける民主型の方法でグループをまとめた。それぞれが得意不得意を持っているから、各々が生きるような声かけをしたり、演奏の割り振りをしたりした。箏の演奏者だけでなく、人間としても成長できた時間だったと感じている。

鈴木さんは「卒業論文でも箏を取り上げました」と続ける。

「能の研究で有名なリチャード・エマート先生のゼミに入っていたんですが、そこは日本をはじめ世界各国の文化や伝統を研究する場でした。卒業論文で私は箏に焦点を当てて、中国の『古琴』から楽器の成り立ちをさかのぼったり、『花祭り』を編曲して楽譜に起こしたりしました。自分の中で『箏とは何か』が整理された作業だったと思います」

武蔵野大学の邦楽部琴之音会に恩返ししたい

鈴木さんは今、母校に戻って箏を教えたいという夢を抱いている。

2019年3月に武蔵野大学文学部を卒業後、1年間、時間を見つけて箏を演奏していると、本格的に学びたい気持ちが強まった。本気で演奏力を伸ばそうと決意し、2度目の大学入学を果たす。2020年4月、芸術短期大学の1年生となり、芸術科の音楽専攻の日本音楽専修であらためて箏を学び始めた。

より専門的に箏と向き合って4年目、現在は専攻科に進みさらに腕に磨きをかけている。「一音で心を動かせるように」という思いを胸に、授業を受けたり、演奏会を開いたりしているなかで、箏を極め、社会に役立てたいという思いが強まってきた。

「箏の演奏に関していうと、小学校や老人ホーム、介護施設や福祉施設などで演奏するアウトリーチ活動に力を入れていきたいですね。箏の音が癒しになって音楽療法の助けになる部分もあると思うんです。それから、やっぱり武蔵野大学の邦楽部琴之音会に恩返ししたい部分があります。私が学んだことを伝えて、後輩たちがより箏を楽しめるようになればいいなと考えています」

母校の思い出話をしていると、ふと教室の記憶がよみがえった。鈴木さんが話す。

「そういえば、中高の教室の前に『感謝の心』『慈愛の心』『敬いの心』『許しの心』『詫びの心』という言葉が飾られていたのをよく覚えています。人の痛みがわかる人間を育てるということだったと思うのですが、そういった環境で10年間過ごしたので、いつも人に優しく生きようと思っています」

  • 2020年4月から芸術短期大学で箏を専門的に学ぶ

    2020年4月から芸術短期大学で箏を専門的に学ぶ

  • 「一音で心を動かせるように」意識して演奏する

    「一音で心を動かせるように」意識して演奏する

  • フォトグラファーの友人に協力して被写体になることも

    フォトグラファーの友人に協力して被写体になることも

  • 友人の影響で、自分でも写真を撮影する

    友人の影響で、自分でも写真を撮影する

  • 「感謝の心」「慈愛の心」「敬いの心」「許しの心」「詫びの心」は今も意識している

    「感謝の心」「慈愛の心」「敬いの心」「許しの心」「詫びの心」は今も意識している

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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