武蔵野マガジン

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三足のわらじを履きこなし、バレーボールに打ち込む|萩原透海さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供

萩原透海(はぎはら・ゆきみ)さん|バレーボール選手(フォレストリーヴズ熊本)
千葉県鎌ケ谷市出身。2021年3月、武蔵野大学の法学部を卒業。武蔵野大学での4年間は「自分の将来について考える時間がたくさんあった」と話す。2021年5月からセミプロバレーボールチームのフォレストリーヴズ熊本でプレーし、2022−23シーズンからはキャプテンを務める。背番号は7で、身長は165センチ。2022年には、成年女子の熊本県代表の一員として国民体育大会(いちご一会とちぎ国体)の舞台に立った。男性アーティストグループのSnow Manのファンで、特に目黒蓮を推す。

バレーボールチーム、フォレストリーヴズ熊本のキャプテンを務める

キャプテンとしてチームを率いる(背番号7) キャプテンとしてチームを率いる(背番号7)

武蔵野大学ではバレーボール部に所属していなかった。けれども今、バレーボール選手としての人生を歩んでいる。

大学卒業後の2021年5月からプレーするフォレストリーヴズ熊本は、セミプロバレーボールリーグであるVリーグのディビジョン2(以下「V2女子」)を舞台に戦う。萩原透海さんはチーム内での投票を経て2022−23シーズンからキャプテンを務めている。キャプテンの経験はバレーボールクラブで活動していた小学校と中学校以来で、特に広く目を配ることを意識しているという。

「高校を卒業して入団した選手もいれば、大学を経て加入した選手もいて、いろんな立場のチームメートがいます。レギュラーもいれば、ベンチスタートの選手もいますし、年齢も立場も性格もさまざまなので、それぞれの立場やそのときの気持ちなどを考えて声かけをするように意識しています」

高校時代はインターハイを経験 高校時代はインターハイを経験

小学1年生のころにバレーボールを始め、千葉県の船橋市立船橋高等学校のバレーボール部では3年次に全国高等学校総合体育大会、いわゆる「インターハイ」に出場した。だが、指定校推薦で武蔵野大学の法学部に進学したあとにバレーボールをさらに極める選択肢は考えていなかった。萩原さんが明かす。

「高校でやり切った感があったんです。同時に、少し伸び悩んでいる感覚もあったので、大学バレーの第一線で活躍できるとは思えなくて、武蔵野大学でバレーボール部に入ることは考えていませんでした。親にも『部活で続けたら』と言われたんですが、そこは頑なに拒否していましたね」

武蔵野大学を選んだのは、学外に飛び出す「フィールド・スタディーズ」に代表されるように、学部の垣根を超えた学びが充実していて、幅広い教養が身につけられると思ったからだ。法学以外の見識を持てれば、将来に役立つと考えた。実際、1年次のフィールド・スタディーズでは台湾を訪れ、異文化を知ることの大切さを知った。英語でやりとりする同級生の姿に大きな刺激も受けた。

バレーボールへの思いが募り、自分なりの“就職活動”に励む

大学時代の写真。左から2人目が萩原さん 大学時代の写真。左から2人目が萩原さん

武蔵野大学ではすぐに友人ができた。同じ法学部で今でも付き合いがある4人組のグループができて、一緒にまじめに授業を受け、それぞれの誕生日を祝い合い、有明キャンパスの近くのお台場でショッピングをし、ディズニーランドに遊びに出かけ、文字どおり楽しい大学生活を送った。

同時に、バレーボールと完全に距離を置いたわけではなかった。週に数回、バレーボールに励む姉のチームや高校時代の同級生などとともに汗を流した。本格的な場ではなかったけれど、やはりバレーボールの楽しさを再確認した。

公務員をめざそうかとぼんやりと考えているうちに、どんどん時間がたっていく。卒業の日が近づいてくる。そろそろ将来を決めないといけないと自分に向き合うと、おのずと進むべき道が見えてきた。萩原さんは振り返る。

「就職というか大学を卒業するにあたってどうしようかと考えたとき、『人生は一度きりだし、やっぱり本格的な舞台でバレーボールをしてみたい』という答えにたどり着いたんです。その方向を探っていると、3年生が終わる1月ごろにチームのホームページでフォレストリーヴズ熊本がトライアウトを実施することを知って、それならば挑戦しようと思いました」

セッターからアウトサイドヒッターに転向 セッターからアウトサイドヒッターに転向

応募資格の一つに「ブランクがあっても、再度バレーボールと真剣に向き合いたいと考えている方」というものがあった。再度バレーボールと真剣に向き合いたい──その思いが募った萩原さんは本気になった。母校の高校のバレーボール部の練習に参加させてもらったり、週末には姉や同級生たちと試合に臨んだり、一人でランニングを励んだりと、自分なりの“就職活動”に取り組んだ。

熊本市で行われたトライアウトには、バレーボールができる喜びや楽しさをアピールしようという気持ちで臨んだ。実技のあとの面接で内定をもらえると、うれしさが込み上げた。望みどおりの就職先が決まったあとは、残りの大学生活を過ごしながら、自主練習を含め、フォレストリーヴズ熊本に貢献できるバレーボール選手になるための準備を進めていった。

日中は熊本整形外科病院で看護助手として働く

バレーボール選手とキャプテンと看護助手と、現在は三足のわらじを履きこなしている。

フォレストリーヴズ熊本はセミプロのチームであり、クラブをオフィシャルパートナーの一つとして支える熊本整形外科病院で働く。8時から16時まで、あるいは8時半から16時半まで、患者さんの身の回りの世話を行う。ベッドシーツの交換や洗髪、食事の配膳や下膳、飲食や入浴、あるいは移動の介助などが主な仕事だ。ほかのチームメートも同じように、クラブのパートナーやスポンサーである病院や介護施設に勤めている。

バレーボール選手としての活動は退勤後、夕方に始まる。正直に言えば、勤務後の練習は肉体的にきつい部分もある。けれども、働いているからこそ、より頑張れる。萩原さんの声に力が入る。

「バレーボールだけに集中できるわけでない環境なので、なおさらこのスポーツにかける思いが強まります。働きながらバレーボールをやっている立場ならではの『負けられない』という意欲でチームが団結している感じがありますね。バレーボールをする機会を与えてくれたクラブだけでなく、働く場を用意してくれるパートナーさんやスポンサーさんへの感謝の気持ちを持ちながらプレーできる点も私たちの強みだと思っています」

10月29日に2023-24シーズンの開幕戦を消化。めざすはV2女子の優勝だ。アウトサイドヒッターとしての自身のプレーに加え、コートに立てないときでもキャプテンとしての立ち居振る舞いで勝利に貢献したいと考えている。

バレーボール選手として母校の武蔵野大学に恩返しできればという思いもある。萩原さんは後輩たちへエールを送る。

「バレーボール部で私の経験やプレーのヒントを伝える場など、何かお手伝いできればという気持ちはあります。2024年に日本初となるウェルビーイング学部が新設されますが、武蔵野大学は学部が多く、さまざまなプログラムや手厚い支援もあって将来への選択肢も豊富です。そうした環境で、私のように本気になれる夢をぜひ見つけてほしいですね」

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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