校友トピックス

令和6年8月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

8月の聖語

「愚者にして愚なりと知らば賢者なり 愚者にして賢者と思えば愚者というべし」

法句経

法句経(ダンマパダ)は仏典の一つでブッダの教えを集めたものです。その完訳『ブッダの真理のことば感興のことば(中村元訳)』には「『ダンマパダ』は人間そのものに対する、はっと思わせるような鋭い反省を述べ、生活の指針となるような教えが述べられている」とありました。

その第5章「愚かな人」の中にある一句が今月の聖語です。

「もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、『愚者』だと言われる」

 

『ブッダの真理のことば感興のことば(中村元訳)』P19

では「法句経」の中で「賢者」はどのように述べられているのでしょうか?
第6章「賢い人」にはこのようにありました。

「水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢をめ、大工は木材をめ、賢者は自己をととのえる。」

 

『ブッダの真理のことば感興のことば(中村元訳)』P21

める」とは「正しく整え直す」という意味があるそうです。
正しく整え直すためには、どこが正しくないのかを知る必要があります。
矢をつくる人や大工は、矢や木材をよく知り、さらに正しく整えようとする。この並びに賢者があります。「もしも愚者がみずから愚であると考えれば」という部分と繋がっているようにも感じられました。

自分と向き合い、自分を知り、向上するためにまた鍛錬を積み重ねる。自分に奢ることなく、今後も歩んでいきたいものです。

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