静謐の聖語板に見出してきたこと
有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。
9月の聖語
何があなたを苦しめているのか あなたが握りしめているそのものさしです
人間誰しも大なり小なり何かしらの悩みを抱えて生きています。「悩み/内容」で検索してみると、「人間関係」「家族」「仕事」「健康」「お金」「容姿」「自分の性格」「勉強」などなどたくさんの言葉がヒットしました。どれをとっても「思い当たる節がある」と感じる方も多いのでは?
例えば「仕事」のことで悩んでいる人がいるとします。
「今日もうまくプレゼンできなかったな…」「こういう言い方をすれば伝わったかも…」と、その悩みは尽きることがありません。
この人はなぜプレゼンが上手くできないと落ち込んでしまうのでしょう?
「うまくプレゼンできない」と感じるのは、「プレゼンとはこうあるべき」という理想のものさしがあるからで、理想と自分のプレゼンを比較してその至らなさに落ち込んでしまうのでしょう。自ら掲げた理想にがんじがらめになってしまっているのですね。
「苦しいな」と感じたその時は、理想という名のものさしからヒョイと手を放してみるのもよいかもしれません。力いっぱい握りしめていると体中強張りそれはそれは苦しいものです。
しかし力を抜いてその手からものさしを放してみれば、体もゆったりリラックス。今までの悩みも嘘のように晴れるのでは?
ものさしは、自ら手を放すことも、目盛りを書き換えることも、何なら人から譲り受けることも簡単にできてしまうのです。自分次第なのです。
「仕事」に限らず生きている限り悩みが尽きることはありませんが、苦しくなったらそのものさし、意思を持って手放してみてはいかがでしょうか?
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