校友トピックス

令和6年10月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

10月の聖語

己れを忘れて他を利するは慈悲の極みなり

最澄

10月の聖語は天台宗の開祖最澄が自著「山家学生式(さんげがくしょうしき)」の中で説いた言葉です。

「己れを忘れて」というのは、自分のことは後回しにして、自分を勘定に入れないで、ということ。
「慈悲」とは仏語で仏・菩薩が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くことだそうです。(慈悲|出典 小学館デジタル大辞泉)

この聖語を見て、時代も国も違いますが『若草物語』の1シーンを思い出しました。『若草物語』は19世紀後半のアメリカを舞台に、マーチ家の四人姉妹を描いた物語です。

父親が戦争で不在のためマーチ家の暮らしは豊かではありません。クリスマスの朝、四姉妹は「今日はご馳走が食べられる!」と楽しみにしていました。が、母親は「このご馳走をうちよりも大変なおうちに持って行ってあげましょう!」と四姉妹に提案するのです。四姉妹はがっかりしますが、グッと堪えてその家にご馳走を運びます。「お姉ちゃんたちは天使なの?」と喜ぶその家の子どもたちの様子に、四姉妹はとても幸せな気持ちになりました。

まさに「己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」ですね。

武蔵野大学・大学院では「自らの幸せだけでなく他者の幸せをも真摯に希求するところに、目指すべき理想の世界がうち立てられていく」という自利利他の精神を大切にしています。今月の聖語はこの自利利他の精神にも通じるものがあるように感じられます。

「己れを忘れて他を利する」も「自利利他」も敷居の高い行いのように感じてしまうかもしれません。「荷物を運ぶのを手伝った」「落とし物を拾ってあげた」など、まずは小さなことでも構わないと思うのです。「ありがとう」を受け取ったあなたは、きっとマーチ家の四姉妹のように幸せを感じられるのではないでしょうか。

最澄(さいちょう)
766/767―822
日本天台宗の開祖。伝教大師(でんぎょうだいし)と諡号(しごう)され、澄上人(ちょうしょうにん)、叡山(えいざん)大師、根本(こんぽん)大師、山家(さんげ)大師とも称される。

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について

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