悲しい記憶を忘れぬために
「武蔵野の地が初めて空爆を受けてから9日後の1944年(昭和19年)12月3日、戦闘機をつくっていた中島飛行機武蔵製作所の勤労動員だった武蔵野女子学院高等女学校の4人が空襲に遭い亡くなった。不運にも、校庭に落ちた6発のうちの1発が掩蓋壕(えんがいごう)に命中してしまったためだ。まだ幼かった島津さんは様子を見に学校を訪れ、乱れ散った足の肉片を目の当たりにした。」
あの日から80年。2024年(令和6年)12月3日「散華乙女の追悼会」が武蔵野キャンパス雪頂講堂にて執り行われました。
本学では毎年12月3日、犠牲となった4名を追悼するとともに戦争の悲惨さを後世に伝えるため、亡くなられた方のご遺族や当時の関係者をお招きして、いのちと平和について考える集い「散華乙女の追悼会」が執り行われます。
雪頂講堂には、冒頭でご紹介した島津好江さんの姿もありました。島津さんは武蔵野女子学院高等学校、武蔵野女子短期大学の卒業生であり、散華乙女追悼会 くれない会平和学習会の語り部として、今も戦争の悲惨さを伝え続けています。
焼香で手を合わせる島津さんの小さな後ろ姿に、散華した乙女が過ごすはずだった80年が重なります。
西本照真学長は感話で、先日100周年の式典で訪れた浜松の高校でも4名の生徒が犠牲になったこと、ロシアのウクライナ侵攻にも触れ「この悲しい記憶を次の世代に伝承していくことが大切」と述べられ、散華乙女の追悼会は閉式いたしました。
この日は、雪頂講堂と図書館の間にある散華乙女の碑の前にも焼香台が置かれており、武蔵野大学高等学校の先生と生徒たちが静かに手を合わせる姿も。先生も生徒たちも「戦争」というものを実際には知りません。
島津さんは今年も生徒たちを前に改めて戦争の悲惨さ、過酷さを語りました。戦争を体験した島津さんの言葉は、生徒たちの胸にもずしりと重く響いたに違いありません。
散華した乙女の悲しい出来事が決して風化しないように、戦争を知らない世代に受け継ぐためにも、毎年12月3日「散華乙女の追悼会」は営まれるのです。
![『あの日をわすれないために 武蔵野女子学院生の戦争証言集』](/wp/wp-content/uploads/2021/12/20211203_01_07.bmp)
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武蔵野大学中学校・高等学校 同窓会 くれない会
TEL・FAX:042-468-3161
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開室:月・木(13:00~16:00)
※2024年12月20日(金)~2025年1月15日(水)は冬期休暇のため閉室です。
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<参考文献>
『あの日をわすれないために 武蔵野女子学院生の戦争証言集』
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