静謐の聖語板に見出してきたこと
有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。
3月の聖語
「我々が努力して成し遂げたものは
そのままで終わりを告ぐべきものと思うのは間違いである
この後に成すべきものの第一歩である」
高楠順次郎
3月といえば卒業式シーズンですね。
武蔵野キャンパスでは3月3日に武蔵野大学高等学校の卒業式が、3月13日には有明コロシアムにて武蔵野大学卒業式、大学院・専攻科修了式が執り行われます。
早咲きの桜、少し気恥ずかしい正装姿、やり遂げた充実感、華やいだ笑顔、別れの涙。卒業式のその日、皆さんの胸にも様々な想いが去来したのではないでしょうか。
実は毎年その姿を見守り、新しく始まる世界へと背中を押してくれていたのが今月の聖語、本学の創設者である学祖高楠順次郎博士の言葉なのです。ちょっと想像してみてください。高楠先生が檀上に立ち、厳しくも力強く卒業生にエールを送る姿を。
「我々が努力して成し遂げたものは
そのままで終わりを告ぐべきものと思うのは間違いである
この後に成すべきものの第一歩である」
まさに叱咤激励。この言葉には、作り上げた道を満足げに眺めている自分をクルっと未来へと方向転換させるような、何かものすごい力強さを感じますね。「現状に満足せずにさっさと歩き出しなさい!」と言われている気がして身が引き締まります。
卒業に限らず節目を感じたその時は、ぜひこの聖語を思い出してください。きっと高楠先生が未来に向けて背中をドン!と押してくれますよ。
高楠 順次郎(たかくす じゅんじろう)
1866年~1945年(慶応2年~昭和20年)。広島県御調郡八幡村字篝(現・三原市)生まれ。
国際的仏教学者。仏教精神を根幹とした人格育成を理想に掲げ、武蔵野大学の母体である武蔵野女子学院を設立。女子教育の必要性と女性の社会進出を肯定的に考えた先覚者でもある。1944年文化勲章受章。
コメントをもっと見る