静謐の聖語板に見出してきたこと
有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。
8月の聖語
「死にむかって進んでいるのではない 今をもらって生きているのだ 今ゼロであって当然の私が 今生きている
」
『変換』より
鈴木章子(1941年~1988年)
真宗大谷派西念寺坊守
作者の鈴木章子さんは、40代で乳癌が見つかり、その後肺などに転移しながらも闘病生活を送られており、その闘病期間に残された詩だと聞いています。
残念ながら昭和63年に命終されましたが、いつ命終してもおかしくない自分が、今に生きるご縁を貰ってこの瞬間に存在している感動を、「今ゼロであって当然な私が今生きている」と表現されたようです。
こんなご時世だからこそ、先人の残した言葉をひとつひとつ咀嚼したいものです。
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