静謐の聖語板に見出してきたこと
有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。
11月の聖語
「教育は 人間の可能性を 発見するものである
」
高楠順次郎
『生の実現としての仏教』
二.人格主義の方面より
高楠先生がお生まれになった1866(慶應2)年は、近代の扉をある意味開いた「薩長同盟」が結ばれた年です。そしてお亡くなりなった1945(昭和20)年は第二次世界大戦終戦の、近代史に幕を引いた年でもあります。
慶應・明治・大正・昭和と、常に教育とともにあった高楠先生の生涯は、しっかりと根を下ろし大樹となり多くの人材の実を残しておられますが、セピア色に褪せた、武蔵野女子学院のテニスコートに立つお写真や、武蔵野キャンパスの塀の内側をぐるりと残る道幅は、先生が当時の女子学生に車の運転をさせたいと巡らせたという逸話を思い返すとき、先生をとても近くに感じ、親しみを覚えます。
本学の公式サイトでは高楠先生を紹介しています。
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