悠久の時を超えて
晩秋の武蔵野キャンパスといえば、卒業生の多くがイチョウ並木を思い浮かべることでしょう。図書館の落ち着いた色合いの外観が、秋の日差しを浴びた黄金色の絨毯を引き立てます。滑りやすい落ち葉を踏みしめれば、乾いた心地よい音が響きます。
大人が両手を伸ばしても抱えきれないくらい太い幹のこれらイチョウの木は、いつ頃に植えられたものなのでしょうか。昭和49年の武蔵野女子学院の創立50周年を記念し編纂された『武蔵野女子学院五十年史』には、巻末に回想集や年史写真集が収録されており、2代学院長・鷹谷俊之先生の回想録『学院と樹木の思い出』※に、手がかりが残されていました。
「この春西多摩郡稲置村の医師富永置三氏は藤二十八本と銀杏苗三十一本を寄贈されたので藤は運動場の東側へ十間置きに行儀よく植えたがこれは年々今も盛んに花をつけ、藤波の心ゆたかな謙譲の徳を花見る人に贈ってくれ、五月中旬を見頃とする。銀杏の方は主として歩道と車道の両側に植えた。これも今は見上げるように成木して、夏時通行者に涼を送り、春の新芽、秋の紅葉共に無言の施物を与えてくれる
」
「この春」とは、前後の文脈から推測して昭和9年の春になります。同じ年、本学では入学式が終わった後に入学者の数、57本の南天の苗を植えました。入学式の植樹は、前年の沈丁花42本、前々年の銀杏42本を植樹して以来、恒例行事のひとつであると記されています。そして、翌月の5月には創立十周年記念祝典が挙行されました。
一方、年史写真集の「昭和二十五年頃の学院」には空撮写真と学院の平面図が掲載されており、その両方でイチョウ並木の姿が見られました。当時は、現在の1号館や2号館のあるあたりが運動場、図書館のあるあたりがテニスコートでした。それらの間を貫く道沿いに、戦火を免れ立派に成長したイチョウ並木がありました。
本学のイチョウの樹木ラベルに「『生きた化石』と呼ばれる」と記されているように、イチョウは幾多の気候変動を生き抜いた悠久の時を超えた植物です。令和6年に100周年を迎える本学も、イチョウの木のように変化に適応し、さらに進化して令和7年からの新たな100年を歩んでいければと思います。
<参考文献>
武蔵野女子学院(1974)『武蔵野女子学院五十年史』、武蔵野女子学院、p606。
※昭和25年4月発行の同窓会機関紙『紫紅』に執筆された回想録。
コメントをもっと見る