第一講堂から六十周年記念館・雪頂講堂へ
2024年、本法人は創立100周年を迎えます。1924年に本学の前身である武蔵野女子学院が築地本願寺の境内に創設されてから、100年という節目を迎えるにあたり、周年記念を振り返ってみたいと思います。ここでフォーカスするのは、創立60周年の「六十周年記念館(雪頂講堂を含む)の建設」です。
六十周年記念館(雪頂講堂を含む)の建設では、学院行事や学年朝拝等に使用していた第一講堂を撤去し、その跡地に新しい建物を再建しました。現在、武蔵野キャンパスのイチョウ並木の突き当りに位置する、雪頂講堂を含む6号館がそれにあたります。講堂の名称は学生・生徒、一般から公募し、学祖高楠順次郎博士の雅号「雪頂」にちなんで「雪頂講堂」に決まりました。
『武蔵野女子学院八十年史』には、当時の学院長である雲藤義道先生が雪頂講堂にまつわる数々の由来、特にその荘厳について学院報に発表したと記されています。
本学院のご本尊である六字名号「南無阿弥陀仏」は、本願寺勝如上人光照前門主の御染筆で、一幅が1942年から1947年までの卒業生のご寄附、もう一幅は和歌山の事業家・由良浅次郎夫妻によるものでした。名号は雪頂講堂のステージ中央の仏壇に安置されています。その仏壇を彩る襖絵には、京都の仏画師によって敦煌壁画様式の飛天図が描かれました。正面ステージを飾る緞帳は京都の老舗織物メーカー、川島織物の製作で学院後援会の寄贈です。ヒマラヤ連峯の図柄は学祖の雅号をイメージしています。
また、学祖の胸像については「高校生を中心に、高楠先生の壮年の頃の元気なお姿を胸像にしてほしいとの要望がおこり、昭和三十七年高校第十四回生から昭和四十四年第二十二回生まで、七年間に亘って卒業記念の寄附金を積み立て、それに学院並びに有縁の懇志を加えて、昭和四十五年五月二十一日、同慶節の日に立派な銅像が完成した
」とつづられています。六十周年記念館の建設を機に、紅雲台の玄関に置かれていたものが、雪頂講堂ロビー中央に定置されました。
このように雪頂講堂を構成する要素のあちらこちらに、学院にご縁のある方々の思いが込められています。
創立六十周年記念式典は六十周年記念館の竣工を待ち、1986年3月8日に行われました。浄土真宗本願寺派の大谷光真御門をはじめ、各界からの来賓、学院関係者、教職員、学生・生徒、同窓会代表ら約600人を集めて盛大に開催されました。
参列者には記念の品々が配られ、そのひとつに木製のコースターがありました。雲藤学院長の発案によるもので、第一講堂の廃材を利用して作られました。表面にはイチョウ並木に囲まれた第一講堂、裏面には「武蔵野女子学院 創立60周年記念」の焼印があしらわれています。手に取れば、慣れ親しんだ第一講堂のかけがえのない思い出がよみがえります。
なお、1934年の創立10周年は創立者・大谷尊由師らが臨席し、記念式典が執り行われました。創立35周年までは式典や諸行事が中心でしたが、その後は大規模な記念事業が展開されるようになります。
創立40周年の記念事業では武蔵野女子大学や幼稚園の設置、体育館や学生寮の建設などが実施されました。創立50周年の記念事業は、大学ならびに中高図書館建設や紅雲台の新築、短大の幼児教育科の設置、学院歌(第二)の制定など多岐にわたります。
創立70周年は記念式典に先立ち、「武蔵野女子学院創立七十周年・創立者高楠順次郎博士五十回忌記念講演会」が開催されました。そして高楠博士の五十回忌にあたる1994年6月28日、五十回忌法要と合わせて、創立70周年記念式典が雪頂講堂で執り行われました。
創立100周年ではどんな歴史が紡がれていくのかご注目ください。
<参考文献>
学校法人武蔵野女子学院(2004)『武蔵野女子学院八十年史』、学校法人武蔵野女子学院、p340。
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