静謐の聖語板に見出してきたこと
有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。
1月の聖語
「学に進むに南村梅軒
今回は室町時代後期の儒学者で、土佐南学の開祖といわれる南村梅軒の名言です。学生時代、一夜漬けで定期試験に臨んで玉砕したり、卒業論文を一気に書き上げようとして挫折したり、そういった苦い経験をお持ちの方は、特に深くうなずける言葉だと思います。
さて、この言葉には続きがあるのをご存じでしょうか。
各界のリーダーに多大な影響を及ぼした安岡正篤氏の著書『百朝集』では、古人の箴言のひとつとして紹介されています。
勉学に限らず、例えばスポーツの世界でも、結果を出すには継続が欠かせません。「天才」と呼ばれるトップアスリートでさえ厳しいトレーニングを継続し、モチベーションを持続しながら、最高のパフォーマンスを発揮できるよう日々努力を重ねています。それらによって獲得できるメダルがあり、メダルを取ったからこそ見える景色は、何ものにも代え難い特別なものとなるはずです。
そこまでの高見ではなくても「必ず得ること」があると信じて、身近な事柄をコツコツ継続してみてはいかがでしょう。
南村 梅軒(みなみむら ばいけん)
生没年不詳。周防国(現・山口県)生まれ。
室町時代後期の儒学者。周防国の戦国大名・大内義隆に仕える。その後、土佐弘岡城主・吉良宣経に招かれ朱子学を説く。朱子学の一派である土佐南学の開祖といわれている。
<参考文献>
安岡正篤(1987)『百朝集』、福村出版、pp50-51。
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