校友トピックス

令和5年10月の聖語

静謐の聖語板に見出してきたこと

有明キャンパス正門、武蔵野キャンパス正門・北門に設置されている「聖語板」を覚えていますか?
先人のことばを月替わりに掲示しています。
在学時、何気なく見過ごした言葉、瞬時に腑に落ちた言葉、場面を具体的にイメージできる一文、また、思わずその意味を自身に問い掛けた経験はありませんか。
そして、1カ月間、朝に夕に目にすることで、じっくりと心に沁みこんでくる言葉がありませんでしたか?
今も変わらず、「聖語板」は学生に、教職員に、大学を訪れる人に静かに語りかけています。

10月の聖語

「心は形をもとめ 形は心をすすめる」

みなさんは「心の形」というと、どんなイメージを思い浮かべますか?

心は目に見えません。それにもかかわらず、心を使った慣用句は数多く存在します。たとえば、わくわくする様子を「心が弾む」、心の支えを失って意欲がなくなる様子を「心が折れる」と言います。同じ心ですが、前者はボールのような球体を、後者は棒状や板状のものを連想させます。

また、心は人間のように踊ったり(心が躍る)、騒いだり(心が騒ぐ)、時には痛んだり(心が痛む)もします。私たちにとって、心はなくてはならない大切なもの。目に見えないからこそ、自由な発想で次々と慣用句が生まれたのかもしれません。

さて、今回の聖語は仏教の教えであると言われています。みなさんが入学式の時に授与された『礼讃抄』の「作法」の項目に、ヒントとなる一文が記されています。

仏前の作法は、正しい姿勢を保つことがその根本でなければなりません。心を正しくすれば、正しい姿勢となって形にあらわれ、姿勢を整えることは、また心を正しくすることになります。

現代人の多くはストレスフルな毎日を送っています。「心を正しくしたい」と思っても、心は形を持っていません。それなら心の持ち主である自分が立ち振る舞いや身だしなみを整え、日々の暮らしを丁寧に行うことが「心を正しくする」ことにつながるのだと思います。

<参考文献>
武蔵野女子学院『礼讃抄』、武蔵野女子学院、p136。

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