武蔵野マガジン

MUSASHINO CONNECTION

色々の季節を通りすぎながら|ホシダマサオミさん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、鷹羽康博

ホシダマサオミさん|劇伴作曲家
静岡県浜松市出身。浜松市立高等学校で学んだあと、2023年3月に武蔵野大学文学部の日本文学文化学科を卒業。在学時の4年間は大学の小平男子学生寮で過ごした。5歳のころからエレクトーンとピアノを習っており、2023年4月から尚美ミュージックカレッジ専門学校のアレンジ・作曲学科で学び、作曲家としての技術を磨く。2023年の一年間だけで103曲をつくった。2024年4月には「フラニーの遊び場」というユニットの公演『麦畑の怪物』に役者として出演。

「このままじゃ、高校時代を超えられないぞ」と焦りが募る

ほとんどずっと、心の霧が晴れないような4年間だった。正直に言うと、武蔵野大学が最善の選択だったのかはいまもわからない。第一志望の学び舎ではなかったことがしつこく心に引っかかっていた。

高校時代が輝いていたからなおさらだ。ホシダマサオミさんは口を開く。

「高校生のとき、放送部で部員として関わったラジオドラマがNHK杯全国高校放送コンテストの創作ラジオドラマ部門で優秀賞を受賞したんです。このとき初めて、劇伴音楽を作曲しました。ただ、当時の僕はドラマ自体や脚本、俳優の演技などのほうに関心が向いていて、大学ではドラマを中心とした物語創作について学びたいと思っていました。武蔵野大学の日本文学文化学科は創作の授業もあったので受験したんですが、入学してからはどこか居心地の悪さみたいなものを感じていましたね」

武蔵野大学では演劇研究部のdef's dropにも在籍。ホシダさんは右端 武蔵野大学では演劇研究部のdef's dropにも在籍。ホシダさんは右端

高校時代の延長で創作を続けたいと思っていたホシダさんは、武蔵野大学で三つの表現活動を掛け持ちする。演劇研究部のdef’s drop、放送研究部、大学公認クラブのピアノコンチェルトに籍を置き、演技をして、ラジオドラマの脚本を書いて、鍵盤を鳴らした。ただ、どうにも心は満たされなかった。高校時代の栄光を引きずっていたし、たとえば既存の脚本から選んで舞台で演じる形に不完全燃焼の感情を抱えていた。自分と周りとの微妙な熱量の違いに戸惑っていた。

時を同じくして、世界がコロナ禍に陥る。オンライン授業が増えて大学の小平男子学生寮に籠る日々が多くなると、心が低空飛行を続けた。「このままじゃ、自分の大学生活は高校時代を超えられないぞ」と焦りが募った。

表現者として星野源さんに憧れている 表現者として星野源さんに憧れている

ずんと重い石を抱え込んだような気持ちで沈むなか、千載一遇の機会が訪れる。2020年4月、ずっと憧れていたアーティストの星野源さんのラジオ番組で、リスナーからラジオドラマのストーリーを募集する企画が始まった。ホシダさんは顔を輝かせる。

「これはもう送るしかないと思いました。とにかく星野源さんに対する愛を台本に落とし込んだものをつくって、源さんへの愛にあふれる現場に送りたかったんです。源さんの曲の歌詞から発想を得るというか、それこそセリフのなかに源さんの曲で出てくる歌詞をいろいろと散りばめたラジオドラマを書き上げました」

憧れの星野源さんがラジオドラマを演じてくれた

2020年6月23日の深夜、気分転換も兼ねて静岡県の実家に戻っていた大学2年生のホシダさんはラジオを聴いていた。星野源さんの番組がソロ10周年SP同時生配信を行っていた。「しげおかしげおさん」という名前が呼ばれたとき、体がぐっと熱くなった。自分のラジオネームだ。

源さんがとても優しい声で言う。

「それでは東京都にお住いのしげおかしげおさんがつくってくれた原案をもとに、作家の寺ちゃんが脚本を書きました。星野ブロードウェイ第10回公演『A Conductor』」

自分の書いた脚本を憧れの人が演じてくれている。夢見心地で15分ほどを過ごしたホシダさんは、大学生活で高校時代を必ず超えてみせようと強く心に決めた。そしてその一年後、一生忘れられない経験に後押しされるように新たな一歩を踏み出す。ホシダさんは振り返る。

「もっと刺激を受けたい、どうせなら自分が同世代で一番惹かれている劇団でやってみたいということで、早稲田大学にある『劇団木霊』に入りたいと考えました。身体表現が特色の劇団で、フリーダンスというメニューや筋トレ、エチュードという即興劇などの練習をする新人訓練を受けて、大学3年生の秋、正式に劇団木霊に入団しました」

劇団木霊は1953年に立ち上がった歴史ある団体で、表現にかける情熱にあふれていた。創作意欲に満ち満ちた環境の居心地はよく、自分の肌に合った。自身の手がけた劇伴音楽について熱心に尋ねられると、心からうれしく思った。心の霧が晴れたような気がした。

もちろん、武蔵野大学でも表現の幅を広げた。脇役をうまく使うとストーリーが引き立つことは小説の授業で学んだし、無駄を削ぎ落として想像の余白を持たせるアプローチは俳句の授業を通して身につけた。第一志望の学び舎ではないという引け目を感じながらも、着実に成長することができた。

「高校時代の自分を超えられたのかなと思います」

けれども、またしても第一志望の夢を叶えることはできなかった。表現活動の道を進むべく、テレビ局やラジオ局、映像制作会社といった放送業界に的を絞って就職活動に励んだものの、全敗を喫する。片や「ここは俺の居場所じゃない」と心のほんの片隅で卑しんでいた武蔵野大学では、同級生たちが次々と内定をもらっていた。安堵する友人たちを横目に、自尊心は薄れかけ、ひどくみじめな気分になった。

現在は作曲やアレンジの腕を磨く 現在は作曲やアレンジの腕を磨く

ただし、敗北感を覚えながらも、くさりきることはなかった。負の感情を創作のエネルギーに変えようと心を固めた。ホシダさんは明かす。

「就活はうまくいかなかったんですが、自分が面白いと言える作品をつくりたいという気持ちは消えなくて。じゃあ、もう最後に自分が一番面白いと思えるコンテンツを残して学生生活を終えようという気持ちになったんですね。それが4年生の夏ごろで、劇団木霊に公演の企画書を出したんです。企画が通ったあとは必死に脚本を書き上げました」

「最後に自分が一番面白いと思えるコンテンツを」という思いは誰よりも強く、主宰、作、演出にとどまらず、プロモーション用にラジオ番組を手がけたり、本編映像を残す段取りをつけたりと、無我夢中で駆け抜けた。そうして出来上がった『色々の季節2022-2023』は、「大学4年生の一年間を描いた青春群像劇で、自分の経験を織り交ぜつつ、キャラクター一人ひとりの人柄や言動が観客に届くようにつくった作品」だという。2023年3月11日、12日、13日に上演された舞台を振り返りながら、ホシダさんは「自分が味わったみじめさみたいなものも描けただけでなく、これまで自分が見てきた作品の面白い要素を詰め込めたので、それまでで一番満足がゆくものができたと感じましたし、高校時代の自分を超えられたのかなと思います」と、胸のつかえがおりたように話す。

「『色々の季節2022-2023』で季節に目を向けたのは、武蔵野大学での俳句の授業の影響が大きかったです」と続けるホシダさんは現在、創作の道を模索中だ。「表現活動に取り組む自分として誇れる最後の砦」だと感じる音楽に軸足を置きながら、さまざまなエンターテインメントに関わりたいと考えており、専門学校で作曲やアレンジの腕を磨いている。表現に魅了された青年は、大学時代のように色々の季節を通りすぎながら、夢に近づいていく。

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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