文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、鷹羽康博
脇坂啓(わきさか・けい)さん|学校法人武蔵野大学入試部入試広報課
千葉県市川市出身。千葉商科大学付属高等学校で学んだあと、2024年3月に武蔵野大学法学部政治学科を卒業。2024年4月から学校法人武蔵野大学入試部入試広報課で働く。ゴルフ練習場のアルバイトにも励んだ大学時代に特に好きだった場所は有明キャンパス5号館前の芝生で、友人たちとよくゆったりとした時間を過ごした。大学卒業後も下條慎一先生のゼミの仲間たちとは定期的に会っている。趣味は古着屋めぐりや映画鑑賞。
「何か新しいことに意欲的に挑戦する校風にも心を引かれました」
控えめに言って、最初の接点から好感触だった。
進路選びを進めていた高校3年次の夏、友人とオープンキャンパスで武蔵野キャンパスを訪れた。武蔵野大学は高校の先生が太鼓判を押してくれていたし、母親も資料などに目を通し好感を持ってくれていた。当時、古文や和歌といった日本の古典か、戦後の政治経済かのいずれかを学びたいと考えていた脇坂啓さんは、2019年の夏の一日を振り返る。
「武蔵野キャンパスに足を運んだんですが、親鸞聖人の銅像があったり、図書館の書庫に古い書物がそろっていたり、とにかく歴史のある大学だなと感じて、ここで学びたいなと思いました。何よりキャンパスを案内してくれた先輩方が穏やかで、そういった雰囲気が自分の性格にも合いそうだなと魅力に感じました。それから、100年近い歴史を持つ一方、2019年4月にはどこよりも先駆けてデータサイエンス学部データサイエンス学科を新設していましたし、何か新しいことに意欲的に挑戦する校風にも心を引かれました」
武蔵野キャンパスの並木道にも感動を覚えてから約半年後、文学部の日本文学文化学科と法学部の政治学科を受験し、社会活動を司る動きを学ぶことに決めた。
法学部政治学科の新入生として緑豊かな武蔵野キャンパスに通う大学生活が始まろうとするころ、世界は未曾有の事態に見舞われていた。2019年12月から新型コロナウイルス感染症が拡大し、武蔵野大学は感染防止を図るべく2020年4月2日の学部入学式の中止を決定する。コロナ禍の真っただ中で大学1年生になった脇坂さんは話す。
「ほかの大学に通う友人たちは『なかなか学校が始まらない』と言っているような状況で、武蔵野大学は比較的早くオンライン授業を導入したんです。顔も名前も知らない人たちと一緒に授業を受けるのは不安でしたが、意図的だったのか、グループワークが多くて、徐々に友人ができたのはうれしかったですね」
顔と顔を突き合わせて論じ合うゼミは掛け値なしに刺激的な場所だった
オンライン授業で特に印象に残っているのは、1年生の秋ごろの講義だ。架空の自治体を題材に、いかに過疎化を解決するかをグループで論じ合った。日本語では「問題解決型学習」や「課題解決型学習」などと訳されるPBL(Project Based Learning)型の時間を通じて、まだ会えていない友人たちがさらに増えていった。
学びの場が有明キャンパスに代わった2年生になっても、コロナはなかなか収束しなかった。1年生が終わろうとしていた2021年1月にはすでに東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏4都県に対して2度目の緊急事態宣言が出されていた。感染拡大防止の観点から、「換気が悪い密閉空間」「多数が集まる密集場所」「間近で会話や発声をする密接場面」という「三つの密」を避ける必要があるとされ、引き続きオンライン授業が軸の学生生活が続いた。脇坂さんは「ですから、大学時代の約半分は通学していないんです」と顔を曇らせる。
ようやくキャンパスに通えるようになったのは3年生に進級するころだ。武蔵野大学は、2023年度は通学を前提に感染防止対策を講じながら対面授業を実施する方針を固めた。ようやく本当の大学生活が始まったような気がした脇坂さんにとって、友人たちとついに会え、顔と顔を突き合わせて論じ合うゼミは掛け値なしに刺激的な場所だった。
「下條慎一先生のゼミで主に市民社会学を学びました。『一人の犠牲も出さずに人権を守る』というのが大きなテーマで、自分自身は『それはなかなか難しいんじゃないかな』とも思ったんですが、周りは『そうした社会を実現するにはどうしたらいいか』と前向きに考える友人が多くて、とても感化されました。ゼミ終わりに有明キャンパス近くのファミリーレストランに寄ったり、新宿のお店まで行ったりして、みんなでわいわい食事をした時間は本当に楽しかったですね」
卒業論文では原子力をテーマに取り上げた。発電というメリットがある一方、核兵器というデメリットもある。「一人の犠牲も出さずに人権を守る」結論をめざしたが、実際は「ばしっと書きたいなと思ったんですけど、ちょっと濁した感じでした」。けれども、世の中には白黒つけらない問題もあることを認識できたのは、ある意味、収穫だったと感じている。
2023年9月21日の夕方、武蔵野大学から吉報が届く
2023年9月21日、大学4年生の脇坂さんは朝からスマートフォンを気にしていた。就職活動の最終面接で合格していれば、この日、電話をよこすと言われていたからだ。意中の相手は学校法人武蔵野大学、つまり母校であり、緊張と期待が入り交じった気持ちで吉報を待っていた。夕方6時前にスマートフォンが鳴り、合格を告げられて胸がいっぱいになった。
3年生が終わる2月ごろ、就職活動が本格始動する際に大学職員という道が大きな選択肢となった。脇坂さんは明かす。
「コロナ禍にあって、オンライン授業でパソコンの操作がわからなかったり、授業の課題がネットからうまく提出できなかったりしたときに、武蔵野大学の職員の方々にものすごく丁寧にサポートしていただいたのを覚えていて、『大学職員になりたいな』と思ったんですね。対面授業が始まってからも窓口で親身に対応していただきましたし、『できることなら武蔵野大学で』と考えていたら、6月くらいにホームページに新卒採用の募集要項が掲載されていて、迷わず応募しました」
最終面接となった4次面接では、2024年から展開される創立100周年記念事業プロジェクトという歴史的事業にどのように関わりたいかを伝え、日本初のアントレプレナーシップ学部アントレプレナーシップ学科や世界初のウェルビーイング学部ウェルビーイング学科の設立など、革新に挑戦する校風に貢献したいことを訴えた。
2024年4月、学校法人武蔵野大学入試部入試広報課に入職した脇坂さんに話を聞いたのは5月10日。就職してまだ一カ月のフレッシュマンはどことなく硬さを感じさせながら、けれども熱意がこもる雰囲気を醸し出していた。仕事の話を聞くと、表情がさらに明るくなった。
「今はまだ進学情報の文章をチェックしたり、オープンキャンパスの準備をお手伝いしたりといった状態で、一日でも早く一人でできることを増やしていくのが目標です。武蔵野大学に通っていたからこそわかることもあると感じていて、自分が入試広報課として関わった受験生がこの大学に進学してくれたら、それほどうれしいことはないと思っています」
曰く「次の100年に向けていい形でバトンを渡したいし、新しいことにもチャレンジしていきたい」。母校で働き始めた青年は、自らの学び舎だからこそ何より重要だと感じている伝統と革新を丁寧に紡いでいく。
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
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