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逃げたのかもしれないけれど|落合竜太郎さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏

落合竜太郎(おちあい・りゅうたろう)さん|シンエイ動画株式会社
神奈川県秦野市出身。神奈川県立秦野曽屋高等学校で学んだあと、2011年3月に武蔵野大学文学部の日本語・日本部学科(現 日本文学文化学科)を卒業。大学時代の思い出としては、ゼミの杉﨑夏夫先生が共同所有しているヨットに乗せてもらったことや、学校のイベントで友人たちと菅平高原に行ったことを挙げる。2014年7月からシンエイ動画株式会社に勤務。現在はドラえもん事業部ドラえもん制作部に在籍し、プロデューサーとしてアニメ制作に関わる。

「自分は裏方ですから」

「可能であれば、顔写真の掲載は差し控えてほしいんです」と話す。「自分は裏方ですから」というのが理由だ。落合竜太郎さんは武蔵野大学の文学部日本語・日本文学科(現 日本文学文化学科)を卒業してから十数年ほどアニメ制作に関わっており、観る人たちにとって、それぞれの作品に自分という存在のノイズが入ってほしくないと考えている。

それだけ自分が手がけてきた作品に対する思い入れが強い。自身もアニメにどっぷりつかってきたからだろう。落合さんは記憶の糸をたぐる。

「中学生ぐらいまではアニメをよく観ていたんです。高校ぐらいになるといったん離れていましたが、大学生になってまた深夜アニメを観るようになって。『墓場鬼太郎』『化物語』『東のエデン』『空中ブランコ』『図書館戦争』……武蔵野大学の通学に片道2時間半くらいかかるので、行き帰りの電車では『ガンダムシリーズ』など、古い作品もスマートフォンでよく観ていました」

「『アニメ業界がいいな』と思ってからは、就職活動を全振りしました」

大学3年生のころ、同級生が就職活動を始めた。周囲に促されるように、自分も広告代理店や出版社などの企業説明会に足を運んだが、そこで働いている自分のイメージがわかない。ぼんやりとしたまま時間が過ぎていくなか、自分が好きなものを見つめ直していた際、「アニメ業界」という選択肢がふと頭に浮かんだ。すると、小さな可能性も夢につながる道のように思えた。同級生のなかにすでにアニメの仕事に足を踏み入れている友人がいて、そのつてをたどってアニメの演出家に会って話を聞くことができた。

夢を追う時間が動き出すと、大胆な決断を下した。落合さんは振り返る。

「『アニメ業界がいいな』と思ってからは、そちらに就職活動を全振りしました。やっとベクトルが向いたので、アニメ制作会社に片っ端からエントリーシートを送りましたね。30社くらいにエントリーシートを送って、面接までこぎつけたのは3社でした。でも、どれも不合格で、どうしようかとも思いましたが、どこか根拠のない自信があったのか、あせらず就活を続けてましたね」

そして2010年の秋、朗報が届く。4年生が終わろうとしているある日、あるアニメ制作会社から補欠合格を伝えられた。曰く「根拠のない自信があった」落合さんだったが、さすがに胸を撫で下ろしたという。

「勝手に劣等感を持って、だから僕は逃げたんですよね」

武蔵野大学の文学部日本語・日本文学科に入学したのは、国語が得意で、日本語学に興味があったからだ。日本語の成り立ちなどに関心を持っていて、日本語学を学べる大学を探しているとき、武蔵野大学に出合った。文学部日本語・日本文学科もある。通っている高校が指定校推薦の枠を持っていることを知り、校内選考を通じて合格を果たした。

ただし、入学してすぐ周りとの差を感じた。落合さんはあっさりと敗北感を認める。

「必修の授業が1年生だと多いんですけど、日本語・日本文学科なので、有名な作品をどう読み取るかといった授業が多かったんです。一般入試で入っている同級生はみんな当然たくさんの作家を知っているのに、自分は国語の教科書以外、そんなに読んでこなかったので、誰がどの作品を書いているかも結びつきませんでした。授業を受けているときも雑談をしているときも、厳しいセンター試験を勝ち抜いてきた連中とは知識量の差を感じましたね。大学生になって夢野久作や折口信夫などの存在を初めて知ったくらいなんです」

「勝手に劣等感を持って、だから僕は逃げたんですよね」と明かす落合さんの顔は、けれども決して暗くない。文学については“惨敗”だったかもしれないが、充実した4年間を過ごせた実感があるからだ。

SNSで知り合った友人たちと趣味のバイクで遠出した SNSで知り合った友人たちと趣味のバイクで遠出した

ずっと続けていたバドミントンは1年次に部活で本格的に取り組むことができたし、指導者の道も視野に入れてテーピングの巻き方や体の構造などを学ぶスポーツの講義も選択科目として受講した。大学の部活はやめたものの、地元のクラブでラケットを振り、バドミントンは続けた。家電量販店のアルバイトに明け暮れた生活も、SNSで知り合った幅広い年齢層の友人たちと趣味のバイクでツーリングに出かけた日々も、人間的な成長を促してくれた。そもそも、逃げ道の一つとして楽しんだようなアニメが結局のところ、仕事につながった。

「逃げたんですよね」と苦笑しながらも、大学生活はまじめに全うした。3年次からは杉﨑夏夫先生の語学ゼミに在籍。興味のある日本語学の本を読んだり、課題のレポートを書いたり、図書館にこもる日も少なくなかった。落合さんが学びの集大成について話す。

「4年生のときの卒業論文では、日本にはなぜ平仮名とカタカナがあるのか、そもそも漢字から派生して崩された表音文字が、日本で平仮名とカタカナに分かれているのはなぜなのかという部分に焦点を当てました。奈良時代に書道の文化が日本流になっていって、独自の省略化に至ったのが平仮名のルーツ。平安時代の漢文全盛期に、主に僧侶たちが外来語である漢文を訓読し理解するために記号的に使用し、速記のため省略されていったところから発生したのがカタカナ。いろいろと調べていくなかで、もともと使っていた人間が違うという知見を得ることができました」

現在は、テレビ朝日で放送されているアニメ『ドラえもん』に関わる

キャリアをスタートさせて2年目、アニメの仕事を通じて大きな達成感を得た キャリアをスタートさせて2年目、アニメの仕事を通じて大きな達成感を得た

2011年4月に足を踏み入れたアニメ業界では、主に制作を担当してきた。自ら企画することもあるが、テレビ局や広告代理店から制作を依頼され、スタッフィング、作業のマネジメントや進行を担う役割で、自分で絵を描くことはほとんどない。簡潔に言えば、一つのアニメ作品に関して、一話単位などでさまざまな視点からチームを動かす仕事だ。

キャリアをスタートさせて2年目、アニメの仕事を通じて大きな達成感を得た。落合さんの表情がさらに明るくなる。

「『戦国コレクション』というソーシャルゲームのテレビアニメ化の制作を、制作進行として担当したのですが、その仕事が業界に入って最初に手応えを感じたものかもしれません。もともとは戦国武将や幕末の人物を女性キャラクターに置き換えたゲームで、アニメではオリジナルのストーリーを制作しました。演出家などと話し合って作品をつくっていく作業は本当に楽しかったですね。僕は全26話のうち5話分の制作を任せてもらいました」

アニメの制作にのめり込んだ落合さんは、さらなる刺激を求め、社会人4年目の2014年に転職する。1976年に設立されたシンエイ動画株式会社に働く場所を移した。シンエイ動画は世界的に有名な『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』の制作を手がけており、落合さんも大きな仕事を託されている。テレビ朝日で放送されているアニメ『ドラえもん』に関わり、制作進行と制作デスクを経て、現在はプロデューサーという立場から地球規模で人気を誇る作品に携わっている。落合さんは言う。

「自分の3人の子どもも観てくれていますし、世界的な作品なのでやりがいを感じています。今はもっともっと『ドラえもん』のファンを増やしたいですね。これからも周りの評価に応えられるように仕事に取り組んでいきたいです」

大学時代は劣等感から逃げたのかもしれない。けれども、そうした時間があったからこそ、大好きなアニメに関わる道が見えて、今、実際にその夢のさなかにいる。「顔写真の掲載は差し控えてほしいんです」と話す落合さんの顔は、だから、とことん充実感に満ちあふれている。

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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