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悔しくて、前を向いて|山岸咲亜さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏

山岸咲亜(やまぎし・さきあ)さん|株式会社アルク 出版営業部
福島県出身。福島成蹊中学校・高等学校の中高一貫コースで学んだあと、2023年3月に武蔵野大学のグローバル学部グローバルコミュニケーション学科を卒業。大学4年次には戦禍にあるウクライナからの避難民で、武蔵野大学で学ぶリリア・モルスカさんらとともにウクライナの魅力を紹介するパンフレットを制作し、言語と食事、行事と民族衣装のページを担当した。趣味はお菓子づくりと野球観戦。

中学3年生の頃の悔しい思いを原動力にグローバルコミュニケーション学科へ

中学3年生が終わるころ、英語で悔しい思いをした。

福島成蹊中学校の学習プログラムの一環で、3月にカナダ研修旅行を体験した。ビクトリアの街を拠点に、現地で知見を広めながら約1週間をホストファミリーの家で過ごす。3歳くらいから英語に親しんでいるクラスメイトと一緒の家族が割り当てられた。英語は中学1年生のときから好きな科目だったし、研修旅行を見据えて英会話教室でネイティブの先生とコミュニケーション力を磨いたはずなのにと、山岸咲亜さんは唇をかむ。

「私が返答にまごついていると、ホストファミリーは英語ができる子を通して私に質問するようになって、それが情けなくて。そのときに、自分がもっと話せたり、理解できたりしたら、直接コミュニケーションをとれると思って、もっと英語をがんばろうと思いました。それから約9カ月後、福島成蹊高等学校の1年生のときには留学エージェントが展開している短期留学に申し込んで、今度は12月に一人でまたカナダのビクトリアを訪れました」

2度目の挑戦では悔しい場面は減った。もともと内気な性格だが、意図的に可能な限り多くの人と接するようにした。英語が以前よりできるようになったおかげで、曰く「海外で過ごす一番の醍醐味は人との交流」という側面を感じることができた。

高校1年次に留学した際の学習ノート 高校1年次に留学した際の学習ノート

高校卒業後の進路選びでも自然と海外に視線が向いた。英語力をもっと高めたいし、また留学したい──その思いを高校の先生に伝えると、理想的に思える学びの場を知った。山岸さんは明かす。

「大学では留学や国際交流をしたいと考えていたら、高校の先生から武蔵野大学のグローバルコミュニケーション学科の存在を教えてもらいました。自分で調べてみると、全員留学プログラムはあるし、英語と中国語を学ぶ環境にも魅力を感じました。高校3年生の秋に『ムサシノスカラシップ選抜』で受験すると、給付型の奨学金を得られるかたちで合格をいただいたので、迷わず入学を決めました」

合わせて9カ月ほどアメリカ留学で成長できる権利を得たけれど……

「英語力が一番伸びたのは武蔵野大学での4年間です」と山岸さんは言う。

グローバルコミュニケーション学科のカリキュラムでは、1年次から英語の授業が多く行われる。英語でスピーチやディスカッションをしたりエッセーを書いたりするなかで、確実に鍛えられている実感があった。サークルには入らず勉強にひたすら打ち込んだのは、2年次にアメリカで学ぶ全員留学プログラムという目標があったからだ。英語のニュースを聴いたり読んだりしていくうちに経済や社会問題にも詳しくなった。英語を通じて教養が広がった。

真摯に勉学に励んだ山岸さんは全員留学プログラムに加えて、現地大学で学ぶことのできる学部留学コースの枠も勝ち取った。全員留学の約5カ月の期間に加えて約4カ月、合わせて9カ月ほどアメリカ留学で成長できる権利を得た。1年次が終わるころには、国際コミュニケーション英語能力テストのTOEICで870点を取得。外資系企業のマネージャークラスが求められる英語力を備えるなど、準備は万端だった。

けれども、思わぬ誤算が起こった。大学1年生が終わりに近づいた2020年1月ごろから新型コロナウイルス感染症が地球規模で流行し、全員留学プログラムも学部の留学も中止の決定が下された。海の向こうで過ごす9カ月が消えて一瞬落ち込んだが、山岸さんは前を向いた。

「延期というかたちでもっとあとに行けないか、大学の先生方は何度も検討してくださっていたんですけど、やっぱり全員では厳しいとなって中止になりました。その代わりにオンライン留学という機会が設けられました。カナダの語学学校と提携したのですが、またいつか実際に留学できるチャンスがあると信じて、そのために今できることをがんばって、もっと英語力を高めようと思いました」

コロナ禍のオンライン留学は時差の関係があって、朝8時から15時ぐらいまで授業が行われた。1日5コマ、 合計100時間の講義を受けてコミュニケーションやライティングの力がつき、カナダの文化も知ることができた。期待していた現地留学というかたちではなかったものの、山岸さんは強い意欲をもって前に進んだ。

3年次の後半にフロリダ工科大学のELS語学センターで学ぶ

ほどなく「またいつか実際に留学できるチャンス」が訪れた。2年次にオンライン留学を含めて雌伏の時を過ごしたあと、3年次の後半にフロリダ工科大学のELS語学センターで学ぶ機会を得た。周りは就職活動に力を入れ始めていたけれど、山岸さんはほとんど迷わずアメリカに向かう道を選んだ。「自分の英語の力を証明したかったから」だ。

「ELS語学センターが設定する語学レベルのなかで一番上のレベルは、海外の600以上の大学で認証されていて、クリアすると大学進学に必要な語学力を備えているという証明になり、学部に進学できるんです。留学が一度中止になり、ようやく叶った留学だからこそ、そこに挑戦しようと思いました。私の留学期間は4カ月ほどなので実際は学部に進学できないのですが、毎日帰宅してからも欠かさず学習して目標を果たすことができました。サウジアラビアから来たルームメートの2人はその文化的な背景もあって学びに対するモチベーションが高く、そうした姿勢から大きな刺激を受けたのも良い経験だったと感じています」

  • 大学3年次の後半にフロリダ工科大学のELS語学センターで学ぶ機会を得た

    大学3年次の後半にフロリダ工科大学のELS語学センターで学ぶ機会を得た

  • アメリカの留学先では友人たちから刺激を受けた

    アメリカの留学先では友人たちから刺激を受けた

英語力をもっと高めたいし、また留学したい──高校生のころに掲げた目標を達成した山岸さんの大学生活は、さらに満ち満ちていく。

留学を終えて4年生になると、「英語を軸に学ぶ人を支えられたら」という思いで6月ころから就職活動を始め、英語を主とした語学系出版物やWebサービス、あるいはデジタルコンテンツの企画、制作、販売などを手がける株式会社アルクから内定を勝ち取る。秋には戦禍にあるウクライナから避難し、武蔵野大学のランゲージセンターで学ぶリリア・モルスカさんを支える一員となり、ウクライナの魅力を伝えるパンフレットづくりにも携わった。膽畑いはたアン・クリスティーン先生のゼミでは、日本と中国の英語の語学検定試験の共通点と相違点を扱って『A Consideration of the Effects of English Language Proficiency Examinations at Tertiary Institutions in Japan and China: Potential Benefits』 という卒業論文を書き上げ、4年生が終わるころにはTOEICでトップレベルと言っていい920点のスコアを出してみせた。

武蔵野大学のグローバルコミュニケーション学科で多くの学びを得たあと、2023年4月から株式会社アルクで働く。現在は出版営業部の文教営業チームに所属し、全国の中学校や高校に対して自社の商品を副教材として採用してもらう動きに力を入れる。仕事に取り組む際には、常に数年前の自分の姿を思い浮かべていると話す。

「中学生と高校生が主な対象なので、当時の私みたいに英語が好きになって、留学したい、海外でいろんなことを経験してみたいと思ってくれる生徒さんが増えたらいいなという気持ちがあります。『学ぶ人を支えたい』という思いで就職したので、今の職場は一番自分の夢が叶えられる場所かなと思っています」

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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