文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏
近藤優華(こんどう・さやか)さん|武蔵野大学工学部 建築デザイン学科 助手
東京都出身。東京都立三鷹高等学校(現 東京都立三鷹中等教育学校)で学んだあと、2014年3月に武蔵野大学の環境学部環境学科都市環境専攻(現 工学部建築デザイン学科)を卒業。内装会社や一級建築士事務所での勤務を経験しながら、2019年に一級建築士の資格を取得した。2021年からは一級建築士事務所の合同会社kittan studio(キッタン・スタジオ)で建築士として働く。趣味は旅行、散歩、おいしいものを食べること。
学生とできるだけ同じ視点に立って耳を傾けたい
学生たちから「近藤さん」と呼ばれる距離感が心地いい。「近藤さん、就職が決まりました」「近藤さん、大学院に受かりました」と、後輩たちがうれしい報告をしにきてくれる瞬間に幸せを感じる。
近藤優華さんは2014年3月に武蔵野大学の環境学部環境学科都市環境専攻(現 工学部建築デザイン学科)を卒業した。9年ぶりに母校に戻り、2023年4月から武蔵野大学工学部の建築デザイン学科で助手を務め、後輩たちの成長を支えてきた。
「助手の仕事は教員職ではありますが、研究室を持っているわけではないですし、授業をするわけでもありません。学生生活をサポートするのが主な役割です。そうした裏方的な存在の私に対して、うれしかったことを報告しにきてくれたり、困り事を相談しにきてくれたりすると、本当にやりがいを感じます。『近藤さん、近藤さん』と言って学生たちが近寄ってくれること、それが年齢の比較的近い私自身の存在意義だと思っています」
建築デザイン学科は一学年70名ほどで構成される。けれども、学生たちをぼんやりと見てはいない。一対一の関係が70個あると考えており、一人ひとりの氏名を可能な限り早く覚え、きちんと名前で呼ぶようにしている。あるいは学生たちが年下だからといって、上から物を言うような態度は決してとらない。建築の世界で少しだけ先を歩いている先輩として、できるだけ同じ視点に立って耳を傾けたいと考えているという。
「助手の採用面接では『学生たちの目線に立った存在でいたいです』と伝えました。そのおかげか、学生たちからは『話を聞いてくれる人だな』と思ってもらえ、うれしかったことなど伝えに来てくれる関係性を築けているように感じます」
2014年から10年間、社会人として建築に関わった自信と経験をもとに母校の後輩たちを後押ししたい。そうした思いを持って自身のルーツである学び舎に戻ってきた近藤さんは、濃厚な恩返しの日々を送っている。
摩耶祭を訪れ、「これって学びが楽しいからだろうな」と思う
建築には小さなころから興味があった。父が転勤族で、ずっと社宅に住んでいたから、一戸建てに憧れがあった。住宅販売の広告の間取りを見たり、「階段のある家はどういうふうにできているんだろう?」と想像したりして、夢を膨らませていた。
香川県高松市で建築事務所を営んでいた祖父の影響も大きい。祖父の家に行くと建築の模型があり、車で街を走っていると「あれはおじいちゃんが建てたんだよ」という建築物を見た。子ども心に「建築って仕事が終わったあとも残るんだ、かっこいいな」と感じて、自分も将来は建築に携わりたいと思った。
高校生のときに「建築を学びたい」と進路先を探していると、武蔵野大学の環境学部環境学科都市環境専攻で建築学に打ち込めることを知る。志望校の雰囲気を感じるために大学祭(摩耶祭)を訪れたとき、めざす道が見えた。と近藤さんは弾むような声で言う。
「毎年行われている実習棟での学科展示で、先輩たちがワークショップをやっていたり、自分たちがつくった精巧な模型の説明をしてくれたりして、すごく元気があったんです。『これって学びが楽しいからだろうな』と思い、武蔵野大学を第一志望に決めました」
2010年4月に環境学部環境学科都市環境専攻への入学を果たす。自己推薦型の選抜制度であるムサシノスカラシップ選抜で合格を勝ち取った。それからの4年間、先輩たちの熱量の意味がわかった。建築の学びが楽しいし、自分たちはおもしろいことをやっているという自信もあった。その喜びを知ってほしくて、摩耶祭の学科展示では来場者に対して先輩たちと同じように熱っぽく話をした。
胸躍る大学生活を送れたのは実践的な学科だったからだ。特に印象に残っているのは1年生から4年生までが縦割りで取り組む「環境プロジェクト特別演習」だという。松ぼっくりやたんぽぽの綿毛の構造から着想を得たドームなどを制作した。近藤さんは振り返る。
「誰も正解がわかっていないけれど、『何かおもしろそうだよね』というアイデアに時間と知恵と体力を使って、仲間と共同で作品をつくった経験はかけがえのないものだと思っています。先生が答えを持っていて『やってごらん』というかたちではなく、先生自身もこの答えのわからない状況を楽しんでいました。私が学生たちと同じ目線に立ちたいと考えているのは、きっと私があのころ、先生たちに視線を合わせてもらっていたからだと思います」
「環境プロジェクト特別演習」では大勢の人と協働していく力もついた
4年間没頭した「環境プロジェクト特別演習」では、30人前後のチーム編成で活動した。大所帯で何か一つのものをつくる経験は、社会人になって大きく役立った。「社会では一つの建物を建てるのに、何百人も関わってくる。大勢の人と協働していく力も、あのプロジェクトでついたのかなと思います」と話す。
2014年3月に武蔵野大学を卒業後、内装会社に就職した。住宅のリノベーション、店舗やオフィスの内装設計や施工、見積もりをつくってお客さんと打ち合わせをするなど、幅広く業務を任せてもらえた。入社一年目から小さくない裁量を持たせてもらい、実践を通して経験を積んだ。
内装会社で4年ほど社会人としての腕を磨いたあと、「やっぱり新築物件の設計をやってみたい」という思いが強まり、一級建築士事務所に転職する。集合住宅や二世帯住宅などを設計し、こちらも4年ほど「自分が一から線を引いた建物が建つところが見たい」という夢を叶え続けると、2021年には知人たちと一級建築士事務所の合同会社kittan studio(キッタン・スタジオ)を立ち上げた。現在は、同事務所の建築士と武蔵野大学工学部建築デザイン学科の助手という二足のわらじを履きこなす。
社名の「kittan」は「吉旦」に由来し、「よい日を過ごす場所をつくる手助けをします」という思いが込められている。その理念に沿うように、建築家としては独りよがりな設計はせず、常にお客さんに寄り添うように心がけている。自分の主観で美しいと思っても、使う人にとってまるで機能しないデザインでは意味がない。だから、お客さんの声にはとことん耳を傾ける。近藤さんの言葉に力がこもる。
「自分が向き合う人が笑顔になれる空間をつくりたいという思いがあって、それは建築家としても助手としても同じです。私が幸せを感じるときは、誰かの声を徹底的に聞いて『やっぱり近藤さんにお願いしてよかった』『相談してよかった』と言われたとき。ですから、学生たちが毎日のように『近藤さん、近藤さん』と話しかけてくれる今は、とても充実しています」
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
関連リンク
コメントをもっと見る