文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、鷹羽康博
菊本歩(きくもと・あゆみ)さん|ヒルトン・リゾーツ・マーケティング・コーポレーション(ヒルトングランドバケーションズ)勤務
東京都出身。2005年3月に武蔵野女子学院高等学校(現武蔵野大学高等学校)、2009年3月に武蔵野大学文学部の日本語・日本文学科(現日本文学文化学科)を卒業。株式会社昭文社での勤務を経て、2018年10月からアメリカに本社を置くヒルトングランドバケーションズのバケーション・メンバーシップ(タイムシェア)を販売するヒルトン・リゾーツ・マーケティング・コーポレーションで働く。大学時代に好きだった場所は図書館で、講義を受けたあとにさらに講義のテーマについて調べたり、一人で静かに過ごしたいときに利用していたという。旅行が趣味で、国内旅行はもちろん、ハワイ、シンガポール、タイ、フィンランド、エストニア、マカオ、香港、マレーシア、台湾など海外にも訪れている。
武蔵野女子学院高等学校の3年間はチアリーディングに没頭した
母の母校でもある武蔵野女子学院高等学校(現 武蔵野大学高等学校)では部活動に明け暮れた。入学後、友人に誘われチアダンス部に入部し、初心者の立場からチアリーディングに没頭した。菊本歩さんは懐かしそうに振り返る。
「空がまだ暗いうちに家を出て、朝練から始まって、昼休みも部活、放課後も部活という毎日で、家に帰ったらくたくたになって寝ていました。夏休みは基礎練習だけだったんですが、学校の屋上でやっていたので、真っ黒に日焼けしていましたね。部員のみんなとはずっと一緒にいたので、もう一つの家族みたいでした」
とことん夢中になったおかげで、世界大会への出場権も獲得した。チアリーディングはチームスポーツであり、「みんなでつくり上げる大切さを学べたのは大きいです」と話す。自分さえよければいいという考えがなくなった点も大きな成長だった。
ただし、「部活中心の高校生活だったので、あまり勉強していなかったんですよね」と苦笑する。卒業後の道について深く考える時間もなかったけれど、3年次の秋ごろから同級生たちの進路が決まり始めると、「自分も進む道を決めないと」と焦り出した。
どことなく将来を見据えているうちに、「みんなでつくり上げる」仕事に興味が湧いて、テレビ業界への就職を視野に入れた。周りの大人から「芸能関係の仕事をめざすなら、日本の伝統文化や能、狂言などをしっかり学んでおくと役に立つはず」とアドバイスを受け、能や狂言、浄瑠璃や歌舞伎、現代演劇なども学べる武蔵野大学文学部の日本語・日本文学科(現 日本文学文化学科)への内部進学を決めた。
武蔵野大学に入学してすぐ、就職に対する意識が強まった。1年次に受講した「ライフスタイルと職業」という科目の講義が大きなきっかけだ。旅行業界、自動車業界、ホテル業界、放送業界などさまざまな分野のプロフェッショナルたちがそれぞれの仕事の内容や魅力について話をしてくれた。多様な働き方に耳を傾けるうちに、「就職することがゴールではなく、自分のやりたいことや生き方をどうしたいかという目標から逆算して就職するんだな」と気づいたという。高校時代とは対照的に、大学生活の早い段階から就職について真剣に考えるようになった。
「『学びはエンターテインメントなんだな』と感じたことを覚えています」
2年生になってすぐ、具体的に行動に移す。テレビ業界に興味を抱いていた菊本さんは、通常の講義外に設けられていたマスコミ就職対策を受講する。メディア業界について学ぶうちに「テレビよりも出版の世界で働いてみたい」と思うようになった。「活字のほうが能動的に読者が情報を取りにくるので、自分の伝えたいことがよりダイレクトに受け手に伝わる」と考えたからだ。出版業界に的を絞り、バイト代をすべてつぎ込みマスコミへの就職に特化したスクールに入学した。週に2回の大学とのダブルスクールは、大歓迎だった。「スケジュール表が埋まっていないと納得できないくらい、忙しくしていたかったんです」と、菊本さんは明かす。
「むしろ時間が空いていると、そこにスケジュールを詰め込みたくなっていました。ダブルスクールを始めるまでは『ウインドアンサンブル』という吹奏楽部でトランペットを吹いていましたし、放課後は歯科助手と住宅展示場の受付のアルバイトもしていました。キャンパスでも時間をむだにしたくなくて、日本語・日本文学科以外の講義も受けました。西洋文化や哲学、それから経営学や中国語などを学んで、大学はすごく自由な場所だと思いました。当時は、いろんな業界の専門家の方々のおもしろい話を聞きにいく感覚で、『学びはエンターテインメントなんだな』と感じたことを覚えています」
日本語・日本文学科で特に印象に残っているのは、現在、文学部学部長を務める土屋忍先生の存在だ。1年次に「日本文化論-日本の中のアジア」や「日本文化論-アジアの中の日本」という講義を受講し、広い視野で日本を見つめる考え方に感銘を受けた。3年次からは土屋先生のゼミで学び、4年次の卒業論文ではキリスト教作家として知られる遠藤周作を扱うことに決めた。かくれキリシタンが登場する『沈黙』という作品に焦点を当て、実際に取材もした。
「文献を当たるだけではなく、物語の舞台になる長崎を訪れました。『沈黙』の舞台となった黒崎教会をはじめ、『かくれキリシタンの聖地』とされる宣教師サン・ジワン神父を祀ったキリシタン神社、枯松(かれまつ)神社にも足を運びました。遠藤周作の文学館にも行きましたし、そこには遠藤周作が実際に見たものを私も自分の目で見たいという思いがありました」
続けて「学生時代は好奇心しかなくて、脈絡のない行動ばかりしていた気がします」と自嘲気味に話す菊本さんの笑顔は、けれども、どこまでも柔らかい。
現在はグローバル企業でブランディングとクリエイティブの部門を担当
早くからキャリア形成への意識を高く持ち、出版業界で活躍すべくダブルスクールをこなしていた菊本さんは、意欲的に就職活動に取り組んだ。アルバイトを終えて帰宅すると、夕食を終え、すぐに企業研究とこれから採用が始まる会社のエントリーシートを数社分書いて、2、3時間だけ寝て、また大学に行く──決して容易な日々ではないけれど、「楽しかったんです」と思い出せるのは未来への好奇心が上回ったからだ。「活字のほうが能動的に読者が情報を取りにくるので、より伝わる」という考えを仕事として実際に体感したかった。
およそ100社に応募し、観光ガイドブックや地図などの出版物を手がける株式会社昭文社への入社が決まる。2009年4月からの約10年間、宿泊予約サイトの運営や旅行ガイドブック『まっぷる』の編集など旅行に関する情報発信に携わった。菊本さんは説明する。
「特に印象に残っているのは『ことりっぷ』という旅行ガイドブックのブランディング業務です。主に20代から30代の女性に向けて旅のかたちを提案する国内外のガイドブックで、ちょうどブランディングチームを立ち上げるタイミングに、スターティングメンバーとして携わることができました。季刊誌の創刊のほか、ウェブサイトやSNSのアカウントを立ち上げました。時計メーカーやお菓子メーカーと一緒にコラボレーション商品を開発したり、読者の方々を集めてイベントを開催したりもしました」
雑誌や書籍の編集にとどまらずブランディングに関わるなかで、自分が携わる会社とそのコンテンツやサービスの独自性や価値を高めるために、ブランディングを重視する海外ではどのような取り組みをしているのか学びたいという好奇心が強まり、キャリアチェンジを意識する。2018年10月に、アメリカに本社を置くヒルトングランドバケーションズのタイムシェアを販売するヒルトン・リゾーツ・マーケティング・コーポレーションに転職した。ヒルトングランドバケーションズは、ニューヨークやハワイ、沖縄をはじめとする人気リゾートの広々としたコンドミニアムスタイルの部屋を毎年1週間を基本に所有できるバケーション・メンバーシップ(タイムシェア)を販売している。
2024年11月現在で直営リゾートは200カ所、提携リゾートは1万2600カ所以上に及ぶグローバル企業でブランディングとクリエイティブの部門を担当する菊本さんは言う。
「旅行やバケーションは不要不急のものと思われがちですが、日々の生活を豊かにするためには必要なものだと思うんです。普段とは違う場所でリフレッシュや刺激的な体験をすることによって、また日常を頑張れる。そうした仕事に携われていることに大きなやりがいを感じています。紙とデジタルのツールを駆使して提供したいのはかけがえのない体験です。バケーションの素晴らしさをしっかりと伝えたいですし、そのためにも会社の認知度を上げたり、ブランド価値を高めたり、柔軟性を持って挑戦を続けていきたいです」
柔軟性を欠かさないために意識しているのは、好奇心を持ち続けること。菊本さんの生き方は、武蔵野キャンパスで過ごしたあのころから変わっていない。
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
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