武蔵野マガジン

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人が生きる力を得られるように|守田詩帆菜さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏

守田詩帆菜(もりた・しほな)さん|藤村女子高等学校 国語教師

東京都出身。筑波大学附属高等学校で学んだあと、2019年3月に武蔵野大学の文学部日本文学文化学科を卒業。在学中は土屋忍先生の近現代文学ゼミでゼミ長を務めている。2024年4月から勤める藤村女子高等学校では国語教師のほか「Diversity(ダイバーシティ/多様性」「Equity(エクイティ/公平性」「Inclusion(インクルージョン/受容」の頭文字を取った「DE&I」というプロジェクトのメンバーとしても活動し、すべての生徒が多様な仲間たちを受け入れる力をつける環境づくりに携わる。子どものころから詩に親しんでおり、特にお気に入りなのは宮澤賢治の「雨ニモマケズ」。詩帆菜という名前には、詩をしたためるような豊かな心と、向かい風さえ利用して進めるヨットの帆のような強さと、菜の花に囲まれるような気品を持ち合わせてほしいという願いが込められている。

「憂鬱感と葛藤して、毎日、生きるのに必死でした」

高校3年生のとき父親が自ら死を選び、残された家族は心に大きな傷を負った。母、姉、自分、弟の全員が文字どおりずっしり落ち込んだ。出し抜けの痛ましい出来事に、ずっと底なし沼から這い上がれないような気分がした。

なんとか高校に通って、学校に行けば明るく振る舞った。けれども、頭は真っ白で目の前は真っ暗なままだった。守田詩帆菜さんは打ち明ける。

「笑顔でいても実際は憂鬱感があって、勉強もはかどらないまま高校3年生の終わりを迎えました。通っていた高校は東京大学に何人も合格するような進学校だったのですが、私は勉強へのモチベーションすら見いだせず、結局、浪人することになりました。受験勉強はしなかった一方、心理学の本を山ほど読みあさったことを覚えています。死を選ぶ心理状態や自分を苦しめるような感情のメカニズムを調べて、心の動きに敏感になりたいと思ったんです」

高校を卒業して予備校に通った。生活環境が変わり、大学進学という明確な目標ができたものの、底なし沼から抜け出すことはできなかった。曰く「憂鬱感と葛藤して、毎日、生きるのに必死でした」。朝から晩までずっと机に向かっていたものの、記憶が積み重ならないまま時が過ぎていく。どろりとしていて身動きができない沼に沈んだ状態だからか、志望していた国立大学を受験することもしなかった。

武蔵野大学を選んだのは、学費が安くて、家から一番近かったからだ。さしたる理由ではないかもしれない。けれども、深く暗い沼から抜け出す頼みの綱のように思えたし、仄暗いなかでも「国語教師になりたい」という一縷の夢があった。守田さんが話す。

「浪人時代、向田邦子さんや茨木のり子さんの本に夢中になった時期があって、特に茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』という作品に感銘を受けました。『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』という一説が心に響いたんですね。その経験もしかり、ネガティブな面も含めて人の心が揺れるきっかけは言葉に影響される印象があって、そういう言葉の重みを発信できる人になりたいという考えがありました。『国語教師になる』という思いを持って武蔵野大学の文学部日本文学文化学科への進学を決めました」

言葉の重みを伝えたい──薄暗い底なし沼に差し込んだ一筋の光にすがるように2015年4月、大学生活が始まった。文学に救いを求めた部分もあったという。

父の他界に苦しみながら、「ぜいたくで、幸せいっぱいの4年間でした」

父の不在は引き続き心を蝕んでいた。「大学4年間、もしかしたら卒業して数年は、ずっときつかったです」と声を細める。一方で、武蔵野大学での生活を振り返り「ぜいたくで、幸せいっぱいの4年間でした」とまぶしいほどの笑顔を見せる。底なし沼と青春をどうにか行き来したのが守田さんの大学生活だ。

心臓をぎゅっと引きずり下ろされるような憂鬱感を振り払うように、武蔵野大学ではさまざまな事柄に打ち込んだ。

1年生から大学祭実行委員会の本部企画局に所属。前列右から2人目が守田さん 1年生から大学祭実行委員会の本部企画局に所属。前列右から2人目が守田さん

9歳年下の弟の心の揺らぎを少しでも理解しようと、発達心理学の講義を受講。1年生から大学祭実行委員会の本部企画局に所属し、学生によるMG記者クラブでも活動した。塾講師や家庭教師に加え、村田沙耶香さんの芥川受賞作品『コンビニ人間』への理解を深めるためにコンビニエンスストアでもアルバイトをした。むさし野文学館スタッフとして「秋山駿文庫」の目録をつくる作業に携わり、出版社でブログ記事を書く経験もしている。3年次には映像制作ゼミのティーチング・アシスタントも務めた。

国語教師をめざす学びに励むかたわら、学内外で意欲的な挑戦を続けたのには明確な理由があった。「夕飯をつくりに家に帰るまでの間、私は自由だから、フルに時間を使って自分ができる限りの吸収をしたいと思っていました」と言い添える。

2年次から土屋忍先生(右)の近現代文学ゼミにお世話になった 2年次から土屋忍先生(右)の近現代文学ゼミにお世話になった

深みから救いを求めた文学では、2年次から土屋忍先生の近現代文学ゼミにお世話になった。ゼミの紹介のとき、土屋先生がフランスの童話『星の王子さま』にある「本当に大切なことは目に見えない」という一節を引用し、「本当に大切なものを一緒に探していきましょう」と語った言葉が心に刺さった。2年次、土屋先生にはゼミ生みんなで太宰治ゆかりの地をめぐる散歩に連れて行ってもらったり、泉鏡花の『外科室』を読み映画も見て、その舞台の一つとなっている小石川植物園を訪れたりもした。文学を楽しむ「文楽」の時間が心地よかった。

2年次のプレゼミでは仲間たちとブックカフェのガイドブックを制作 2年次のプレゼミでは仲間たちとブックカフェのガイドブックを制作

小石川植物園からの帰り、みんなでファミリーレストランに寄って話をしていると、「文楽」について一つのアイデアが浮かんだ。守田さんは振り返る。

「それまでゼミの課題でエッセイは書いていたんですが、みんな、先生以外に読まれるのは難色を示していたんですよね。『でも、それって違うよね』という話になって、いろいろなブックカフェの魅力をエッセイ風に書いて、いろんな人に読んでもらうように一冊の本にしようということになりました。出来上がったガイドブックは学内に置いてもらいました」

「映像を編集している時間は自分の心を整理している作業に近かった」

3年次にティーチング・アシスタントとして参加した映像制作ゼミも印象深い。

鹿児島県の徳之島で撮影を行った。映像のテーマは「自分の核となるもの」。それまで人に明かさなかった高校3年次の重苦しい思いを脚本に落とし込んだ。絵コンテやキャスティングもすべて自分で担った映像がようやく仕上がると、ありのままの自分を見つめることができた。守田さんの表情が和らぐ。

「映像を編集している時間は自分の心を整理している作業に近かったですし、自分のなかに重たく残っていた黒い鉛のような記憶を表に出すよい機会だったと思います。無理をせず顔も心もノーメイクで過ごせましたし、心の中の鬱々としたものが出た感じがしました」

4年次の卒業論文では小島信夫の『抱擁家族』を扱った。家庭の崩壊を描く作品を読み解くなかで「家」や「家族」にあらためて深く向き合った。『《家》がもたらす《家族》の悲喜劇~家政婦みちよを中心に~』という論文では、家庭内をひっかき回す家政婦のみちよが実は家族の膿を出すために必要な存在だったと結論づけている。

  • 4年次の卒業論文では小島信夫の『抱擁家族』を扱った

    4年次の卒業論文では小島信夫の『抱擁家族』を扱った

  • 卒業論文の『《家》がもたらす《家族》の悲喜劇~家政婦みちよを中心に~』

    卒業論文の『《家》がもたらす《家族》の悲喜劇~家政婦みちよを中心に~』

  • 卒業式後、お世話になった先生方と撮影した一枚

    卒業式後、お世話になった先生方と撮影した一枚

そのかたわら、教育実習も行ったが、すぐに先生にはならなかった。弟のように傷ついた経験のある子どもたちを支えて「生まれてきてよかった」「生きることは素晴らしい」と思わせてあげたいと感じ、2019年4月、児童養護施設に就職する。小学1年生から高校3年生までの6名を担当し、言葉の重みを常に意識しながらそれぞれに適した表現を使い分け、毎日のように手紙を書いて、生まれてきてくれた感謝と出会えたことの喜びを伝え続けた。

保護者のいない子どもや虐待されていた子どもたちの支援を重ねるなかで、「国語教師になりたい」という夢が再燃した。児童養護施設で培った人を包み込む包容力や他者に手を差し伸べる力、そして生きることを肯定する言葉の力を学校の現場で生かしたくなった。2024年4月から東京都武蔵野市吉祥寺に校舎を構える藤村女子高等学校で国語教師を務める。

これまでの経験とともに人生の歩みを進める新米教師は言う。

「言葉の重みを伝える国語教師であると同時に、生徒たちをケアできる教員であろうと思っています。そのために教育カウンセラーの資格取得試験を受けましたし、人が生きる力を得られるように、謙虚に、主体的に生きていきたいです」

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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