同窓会組織・支部・会員のみなさんにお話を伺いました。
阿部 美枝子さん|くれない会会長
武蔵野女子学院中学校卒業(1961年度卒)・高等学校卒業(1964年度卒/高校16回生)、武蔵野女子大学文学部卒業(1968年度卒)。1978年から武蔵野女子学院中学・高校の英語科教諭となる。学級担任および留学事業の展開など、中高生の教育のために日々奔走し、2012年に退職。2013年にくれない会第6代目会長に選任され、現在に至る。
著書に『留学はこころのコスメ―高校から世界にはばたこう』(朝日新聞出版)がある。
くれない会にかかわることになったきっかけを教えてください。
旧武蔵野女子学院中学・高校に教師として在職中に、恩師(前々くれない会会長)にお声をかけていただいたのがきっかけです。母校のために非力ながら尽力したいと思い、お引き受けしました。ちなみに、くれない会会長はほとんどが、代々英語科教諭でした。
くれない会での仕事内容は?また、普段はどんなことをされていますか?
くれない会会報作成・発行、会員の名簿管理、委員会・総会の連絡・開催、近畿支部会との連絡・開催、中高文化祭(樹華祭)バザーの準備・開催、日帰りバス旅行の立案から開催まで、散華乙女追悼会準備、新会員入会式、母校行事(中高入学式・卒業式、宗教行事等)への参加など。くれない会会長としての活動内容は多岐にわたります。
私自身は、普段は医療法人理事に従事しています。
学生時代の思い出を教えてください。
中学時代は、午前中にクラスの空のやかんを用務のおばさんに預け、昼休みに熱いお茶の入ったやかんを取りに行き、クラスの生徒に配ったことが思い出されます。中島飛行機工場跡の煤けた教室で校内も暗く、学校の七不思議がありました。
高校時代では、世界史の荒船先生の授業がおもしろかったです。大変人気のある先生で、学年途中でエジプトのカイロ大学へ留学されました。
大学時代は大学祭実行委員長として、第1回目の学祭を開催しました。ダンスパーティーを有名ホテルで行いたいと企画しましたが、担当の先生に学内で行うよう指導されてしまいました。最終的には当時の第1講堂の仏壇前のフロアで開催、大盛況でした。
ご当地自慢は何ですか?
東京都立川市生まれの立川育ち。立川基地の跡地が広大な昭和記念公園になり、1年中賑わっています。四季折々の草花が楽しめ、さまざまなイベントが開催されます。また、公園前周辺はたくさんのアート作品が置かれていて、多くの見学者が訪れます。
ライフワークを教えてください。
中学、高校、大学で10年。教師として35年、くれない会で10年、学院に55年携わりました。
約35年の教師生活の中で、半分の年月は担任として生徒と共に駆け巡ったと思います。残り半分は留学事業を立ち上げ、15年間で長期留学(アメリカ、カナダ、オーストラリア、欧州など)に200名、短期留学(オーストラリア・アデレード)に約600名の生徒を送り出しました。35年間、無我夢中で過ごした気がします。
同窓生に向けたメッセージをお願いします。
“人生は長いようで短い。自分を大切にして今を精一杯生きる”ことです。
“いつでも、今でしょう!”。
関連リンク
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学部・学科は卒業当時の名称です。
コメントをもっと見る