同窓会組織・支部・会員のみなさんにお話を伺いました。
大羅 恵子さん|くれない会・むらさき会会員
武蔵野女子学院中学校卒業(1970年度卒)・高等学校卒業(1973年度卒/高校25回生)、武蔵野女子大学文学部日本文学科卒業(1977年度卒)。1980年4月、武蔵野女子学院中学校高等学校非常勤講師として着任。2021年3月、武蔵野大学中学校高等学校定年退職。
どのようなお仕事をされていますか?
1980年4月から2021年3月まで、現武蔵野大学中学校高等学校で芸術科書道の非常勤講師として勤めていました。
今は、再び書を学びたいという昔の教え子たちに、書道を教えています。皆、昔と変わらずのんびりとしていて、和気あいあいとした雰囲気の中で書を楽しんでいます。
学校生活では、どんな思い出がありますか。
今でもよく思い出すのは、部活の合宿と宗教の授業です。
中学3年で初めて参加できる長野県富士見町の保養施設「楽山荘」での書道部の夏合宿が、強く印象に残っています。中学生の私には、早朝から夜遅くまで仲間と一切の会話が許されない雰囲気の中、板廊下で続く練習は耐え難い時間でした。しかし不思議なもので、振り返ってみると、このときのことが美しい自然の風景とともに、学生時代一番の思い出として瞬時に脳裏に浮かぶのです。
授業についても中学時代の思い出です。私は数ある教科の中で宗教が一番好きでした。週に一度の宗教の授業が待ち遠しかったものです。宗教とは少し地味な感じがしないでもありませんが、中学生の私には「これからの長い人生をよりよく生きるにはどうしたらよいか?」ということを、いつも考えさせられる興味深い授業でした。とくに、難しい内容を巧みな話術と身近な事例をもって、具体的に説明してくださる高橋唯美先生の授業は好きでした。
学校生活での思い出の場所を教えてください。
今はありませんが、吉祥寺駅前のジローという名のイタリアンレストランが、高校生の私の秘密基地でした。帰宅途中のレストランへの立ち寄りは、決して褒められた行為ではありません。それでも、空腹解消とその味の魅力に負けて、ついつい立ち寄ってしまいました。チョット高価でしたが、好みのワインゼリーとラザニアに舌鼓を打ちながら、井の頭線沿線の友人たちとあれやこれやの話題に花を咲かせていました。
ご当地自慢はなんですか?
私は生まれも育ちも府中市です。結婚した今も府中市に住んでいます。府中といえば、ラグビーや競馬というイメージかと思います。実は自然豊かな歴史と文化の町です。ぜひ一度お出かけください。字数に制限があり詳細な紹介はできませんが、市の見どころを3カ所紹介します。
1カ所目は景行天皇四十一年(111年)の創建と伝えられる大國魂神社。源頼義・義家が奥州に向かう際に戦勝祈願するなど由緒ある神社です。
2カ所目は府中市郷土の森博物館。ここは博物館本館、復元建築物、公園からなる施設です。博物館本館は「郷土の森」の中心施設で、府中の歴史・民俗・自然をテーマとした常設展示は豊富な実物資料のほか、模型や映像を通じて府中を知ることができるようになっています。
3カ所目は府中市美術館。ミレーや棟方志功などの作品も展示される美術館です。2,200点を超える所蔵作品があり、各期のテーマに沿って常時約80~100点の作品を展示しています。館内の一角には、洋画家・牛島憲之記念館もあります。
ライフワークを教えてください。
女子校への強いあこがれがあり、本校を中学受験しました。以後高校、大学、41年間の教員生活を合わせて51年間母校に通うという幸せな時間を過ごしました。
「好きこそものの上手なれ」という俚諺があります。9歳のときに好きで始めた書道で教師の職を得、地道に学び続けた結果、令和3年第72回毎日書道展においてグランプリの「会員賞」を受賞することができました。好きな書道も年齢的にいつまで続けられるかどうかわかりませんが、これからもさらに高みを目指して頑張ります。
毎年3月末、銀座鳩居堂で吹筆会展をおこなっています。また、都内美術館実施の書道展にも出品しています。宜しければお出かけください。なお、いずれの書道展も旧姓の矢部恵子で出品しています。
同窓生に向けたメッセージをお願いします。
日常、行き当たりばったりの生活ではなく何事も計画的に。そして努力は惜しまないこと。
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※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学部・学科は卒業当時の名称です。
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