文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏
■プロフィール
塚本隼也(つかもと・じゅんや)さん|和太鼓奏者、津軽三味線奏者、篠笛奏者
東京都中野区出身。5歳のときに和太鼓を始め、武蔵野大学に入学直後、現在は公認クラブとして活動している「和太鼓『隼(はやぶさ)』」をサークルとして立ち上げた。大学在学中の2012年には関ジャニ∞のバック太鼓隊としてNHK紅白歌合戦に出演。2014年には「大太鼓富士山一人打ちコンテスト」で優秀賞に輝いた。2020年に和太鼓奏者として独立し、2021年には「唸れ!大太鼓一人打ち祭り」 で優勝。現在は和太鼓に加え、津軽三味線、篠笛、獅子舞の活動にも精力的に励む。カタール、アメリカ、ホンジュラスなど、海外公演は10カ所以上で経験。
和太鼓の魅力を同世代に伝えたいという思いがあった
和太鼓奏者の塚本隼也さんは、よどみなく言う。
「武蔵野大学で過ごした4年間は自分の人生にとって、とても大きかったですね」
2016年3月、文字どおり自分の名前を武蔵野大学に残して教育学部児童教育学科を卒業した。現在、大学の公認クラブとして活動している「和太鼓『隼(はやぶさ)』」は塚本さんが大学1年次に立ち上げた団体だ。「何かしらの形で自分の足跡を大学に残したい」という思いが強く、自分の名前から一文字取って「隼」と名づけた。
2012年春、19歳になったばかりの青年の挑戦には大きな志があった。塚本さんは振り返る。
「僕自身、5歳のころから和太鼓を続けていたので、和太鼓の魅力を同世代に伝えたいという思いがあったんです。武蔵野大学には毎年2000人ほどが入学します。それだけの若い世代に和太鼓を知ってもらえたら、とても意義があるんじゃないかという考えもありました。全く新しいグループを立ち上げる高揚感もありましたね」
「隼」をサークルとして発足させ、同じ児童教育学科の同級生を中心に声をかけると、人が人を呼んで三十人ほどが集まった。順風満帆な船出のように思えるが、苦労も少なくなかった。まず太鼓の数が圧倒的に足りない。塚本さんは学生と教師との距離が近い武蔵野大学の環境を最大限に頼りにした。
「教育学部の高橋一行先生に相談したら、音楽の授業で使う和太鼓がいくつかあるということでした。体育の授業を教えてくださっていた中村剛先生にも話をすると、剣道場にある太鼓を貸していただきましたし、『武蔵野女子学院中学校・高等学校(現 武蔵野大学中学校・高等学校)にもいくつか太鼓があるはずから聞いてみたら?』というアドバイスももらいました。とにかく、いろんな先生に相談して助言をいただいて太鼓をかき集めた記憶があります」
塚本さんは2年次に「隼」をサークルから同好会に昇格させた。大学にきちんと認知された組織として長く続くようにという意図があった。
「先生たちの面倒見がいいよ」という助言が入学の後押しに
武蔵野大学の教育学部児童教育学科に入学したのは「教えることに興味があったから」。高校3年次の担任にも「教える職場が向いているのでは?」と助言をもらっていた。
高校時代の野球部の先輩が武蔵野大学の教育学部に進学していた。話を聞く機会に恵まれ、「先生たちの面倒見がいいよ」「授業も少人数だし、親身になって話を聞いてもらえるよ」と教えてもらい、自分が成長するのにふさわしい場所だと確信した。推薦で合格を勝ち取り、2012年に入学した。
入学してすぐ、武蔵野大学を選んで良かったと感じた。サークルの立ち上げ時のエピソードが示すように、何より学生と教師との距離が近い点が気に入った。初めて取り組むピアノに関しても、先生は手厚くサポートしてくれた。
「ピアノは初めてなのに、最初の授業のアンケートで『和太鼓の経験がある』と答えたらレベルの高い応用クラスに入れられてしまって(苦笑)。授業についていくこと自体が大変で、弾く曲も難しかったんですけど、空き時間なども含めて先生がマンツーマンで丁寧に教えてくださいました。ピアノができるようになって自分の音楽の幅は広がりましたね。今、作曲をするときには鍵盤で音を出すことが少なくありません」
「隼」で和太鼓の演奏に励むかたわら、教師になる目標も捨てなかった。幼稚園教諭一種免許状と小学校教諭一種免許状を取得。1カ月ほどの小学校の教育実習では、今、和太鼓奏者として演奏を教える際に生きている経験を積んだ。
「教育実習で、一斉授業ではわかる子とわからない子がいるのを見極める大切さを知りました。今、自分が教えている和太鼓教室では、一人ずつに目を配って、誰も取り残さないような指導を心がけています。この意識は武蔵野大学での学びで得た財産ですね。『隼』でグループをまとめる力がついたのも今に生きています」
在校生と卒業生との絆、卒業生同士のつながりがもっと強まってほしい
教師になる夢にぐっと傾いた時期もあった。実際、大学在学中から卒業後しばらくは小学校で学力向上指導員を務めている。けれども、最終的には和太鼓奏者として独立する道を選んだ。人生の選択については武蔵野大学で受けた講義の影響も小さくない。塚本さんは言う。
「キャリアデザインの授業が印象に残っていたんです。起業家や職人の方などのお話を伺ったんですが、人生にはいろんな選択肢があるんだなと感じて。それならば、小さなころから続けていて、大学4年間も夢中になれた和太鼓を追求していこうという結論にたどり着きました」
「隼」の活動では「武蔵野大学の存在を広く知ってほしい」という思いを軸に置いていた塚本さんの母校愛は強い。最近では現在の「隼」のメンバーを呼んで演奏活動を行った。今後も「隼」とのつながりを強めていきたいし、「演奏の指導もぜひやっていきたい」と言葉に力を込める。
「実は今回の校友支援課からの取材依頼はとてもうれしかったんですよ」
そう話す塚本さんは、在校生と卒業生との絆、ひいては卒業生同士のつながりがもっと強まればいいと感じている。人が温かく、学びの環境も整っていて、やりたいことを追求できる雰囲気がある。そうした母校で4年間を過ごす後輩たちに対して、さまざまな形で卒業生が協力し合って手を貸していく。同窓生が支える伝統が武蔵野大学をより成熟させていくと考えている。
「『隼』の活動もしかり、学生だけではなかなか難しい状況もあると思うんです。僕自身も含めて武蔵野大学の卒業生にはいろんな職種に進んだ人がいます。学生たちだけでは立ち向かうのが大変な場合には卒業生が力を貸してあげる環境がもっともっと整っていくといいのかなと思っています」
武蔵野大学で過ごした4年間は今の自分にとってかけがえのないもの。だからこそ塚本さんは、後輩たちのそれぞれの4年間も充実するように願っている。
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※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学部・学科は卒業当時の名称です。
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