武蔵野マガジン

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「何かあっても自分は大丈夫」「自分ならできる」という芯を持てた6年間|須賀遥香さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供

須賀遥香(すが・はるか)さん|プロバレエダンサー
東京都出身。2013年に武蔵野女子学院高等学校(現 武蔵野大学高等学校)を卒業。4歳のときにバレエを始め、2014年1月からブリュッセル・インターナショナル・バレエスクールにバレエ留学。2016年にカナダのコースタル・シティ・バレエ団でプロデビューを果たし、2017年からブルガリア国立スタラザゴラ歌劇場で活動する。毎年、夏には日本に帰国して中高時代の友人と会い、近況報告をしてエネルギーをもらう。バレエダンサーとしては「できる限り踊り続けてお客さまの心を動かして、楽しんでもらえたらいいなと思っています」と話す。

2019年には『ドン・キホーテ』の演目で主役のキトリを演じる

2017年からブルガリア国立スタラザゴラ歌劇場で活動。2019年には『ドン・キホーテ』の演目で主役のキトリを演じた 2017年からブルガリア国立スタラザゴラ歌劇場で活動。2019年には『ドン・キホーテ』の演目で主役のキトリを演じた

ブルガリアの劇場を軽やかに舞う。須賀遥香さんはプロのバレエダンサーになるという夢を異国の地で叶えた。

海外でバレエに取り組むうえで武蔵野女子学院中学校・高等学校(現 武蔵野大学中学校・高等学校)で過ごした6年間は大きな意義を持つ。須賀さんは話す。

「何か理不尽なことや予想外のことが起きても冷静でいられるのは、中高時代の影響ですね。緑豊かで穏やかな環境でのびのびとした時間を送れましたし、精神面の安定を強調する仏教の教えを学んだので『何かあっても自分は大丈夫』という芯を持ってバレエに向き合うことができています」

2017年から所属するブルガリア国立スタラザゴラ歌劇場では、想定外の出来事にもそつなく対応している。「舞台当日に代役をお願いされることもありますが、そういうときにも冷静に『自分ならできる』と思うようにしています」と穏やかに笑う。急遽の代役指名は周囲からの信頼の証しだろう。2019年には『ドン・キホーテ』の演目で主役のキトリを演じている。

将来を具体的に思い描き始めたのは中学3年生のときだ。所属するバレエ団の活動の一環でベルギー公演に参加し、バレエの本場であるヨーロッパで学びたい思いが強まった。そして武蔵野女子学院中学校・高等学校を卒業後の2014年1月、ベルギーのブリュッセル・インターナショナル・バレエスクールに単身留学する。海外で夢を追う選択は、仏教の授業を担当し、高校2、3年次の担任だったくさ秀昭先生も心から応援してくれた。

「艸香先生を含め、とても魅力的な先生がたくさんいらっしゃいました。勉強だけじゃなくて、礼儀やあいさつなどもしっかり教わりましたし、『これからの人生はこうしたほうがいいよ』といったアドバイスをいただけたのは本当にありがたかったです」

「プロのバレエダンサーになる」という強い意志を行動に移す

高校卒業後にベルギーのブリュッセル・インターナショナル・バレエスクールに留学。不安も多いなか、主役を任されたこともあった 高校卒業後にベルギーのブリュッセル・インターナショナル・バレエスクールに留学。不安も多いなか、主役を任されたこともあった

ブリュッセル・インターナショナル・バレエスクールでの学びは決して順風満帆だったわけではない。

「ベルギーでは主にフランス語が話されているんですが、日本で少し勉強していったのに、最初は先生が何を言っているのかもわからない状態でした。初めの1カ月は毎日泣いていましたね。海外での不安な日々を支えてくれたのは家族と中高時代の友人で、たまに連絡をとって元気をもらっていました」

武蔵野女子学院中学校・高等学校での生活で「何かあっても自分は大丈夫」という芯を持てた須賀さんは「いつかはプロダンサーになるためにここにいるんだ」と繰り返し自分に言い聞かせ、無我夢中で練習に励んだ。自分は未熟だと感じる一方、ロシアとブルガリアで行われた大きな国際コンクールに出場させてもらえた。結果はついてこなかったものの、プロを目指すうえで視線が一つ上がった感じがあった。

中高時代を通して「自分ならできる」と思えるようになったのは大きな成長だった。ブリュッセル・インターナショナル・バレエスクールで学ぶなか、自分に対する期待を抱き続け「プロのバレエダンサーになる」という強い意志を行動に移してみせた。

「とにかくオーディションを受けまくりました。フランスやドイツなど、ベルギー以外の国にもたくさん行きましたね。書類審査を通過して初めてオーディションを受けられるんですが、それこそ書類は何百通も送りました。必死になって英語の履歴書をつくった記憶があります」

バレエを始めたのは4歳のとき。それから約15年後、大きな努力が身を結んだ。留学から2年経った2016年、カナダのバンクーバーに拠点を置くコースタル・シティ・バレエ団から合格をもらった。「自分ならできる」という強い心を持つ須賀さんはさらに前に進んでいく。コースタル・シティ・バレエ団で活動するかたわら、「バレエの本場であるヨーロッパで活動したい」と考え、オーディションを受け続けた。そして2017年、現在、籍を置くブルガリア国立スタラザゴラ歌劇場への入団が決まった。

目の肥えたファンの前での演技はいつも刺激的だ。

地学部の活動にも励み、高校2年次には部長を務めた

高校3年次に演じた「荒城の月」は入学当初から憧れていたもの。学校伝統の舞を思い切り楽しんだ。画像中央バレエのポーズなのが須賀さん 高校3年次に演じた「荒城の月」は入学当初から憧れていたもの。学校伝統の舞を思い切り楽しんだ。画像中央バレエのポーズなのが須賀さん

武蔵野女子学院中学校・高等学校では、勉強とバレエ以外にも打ち込んだものがある。5年間在籍した地学部の活動だ。

「小学生のときに文化祭を訪れた際、地学部がロケットを打ち上げていたんです。私は理科がとても好きでしたし、『ちょっとかっこいい部活があるよ』と聞いていて、入学してすぐに入部を決めました」

週1回の活動では主に、⽕薬を使って⾶ばすモデルロケットを製作したり、天体観測をしたりした。年に数回行った校内合宿は今でも忘れられない。武蔵野大学の宿泊施設に寝泊まりして、夜になると望遠鏡を使って観測に励んだ。一緒にご飯を食べ、寝る前にみんなでいろいろと話す時間は青春そのもので、掛け値なしに楽しかった。

地学部では高校2年次に部長を務めている。部員は中学1年生から高校2年生までで60人ほど。大所帯をまとめた経験はバレエダンサーとしての幅を広げてくれたという。

「バレエは一人でできるものではなくて、ダンサーたちが集まってつくり上げる作品なので、お互いを尊敬しないといけません。地学部の部長を務めた際に思いやりの心を持って一人ひとりに目を配り、それぞれとのコミュニケーションを大切にした時間は、今バレエを追求するうえでも活きていると思っています」

さまざまな財産を得た武蔵野女子学院中学校・高等学校での生活を思い出し、須賀さんは「修行でしたね」と話す。仏教において「修行」は「精神の鍛錬」を指す。「心身ともに鍛えられた期間でした」と振り返る6年間で「何かあっても自分は大丈夫」「自分ならできる」という芯を養い、「思いやりの心」も育んだ須賀さんの笑顔はどこまでも優しい。

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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