文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供
ダリエ恵子(だりえ・けいこ)さん|チェコ・プラハ在住 会社員
東京都出身。2008年に武蔵野女子学院高等学校(現 武蔵野大学高等学校)を卒業。高校時代の約1年間、武蔵野女子学院高等学校の留学制度を利用し、チェコのプラハに留学した。立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部卒。2016年からチェコで生活を送る。現在は夫の母語であるルーマニア語を勉強中。趣味はボルダリングと編み物で、最近は腹巻きづくりに精を出している。
充実した留学プログラムに惹かれ、武蔵野女子学院高等学校へ
「私の人生って、今振り返るとすべてチェコ一辺倒なんです」
歯切れよく話すのはダリエ恵子さんだ。2016年からチェコのプラハで働く。東欧の歴史ある街でルーマニア人の夫と暮らしている。
チェコとの出合いは武蔵野女子学院高等学校(現 武蔵野大学高等学校)のとき。高校1年次、留学先を選んでいる際に目に留まった。行き先の選択肢は60カ国ほどあったが、「誰も行かなそうな国に行ってやろう」と心がたぎった。チェコ語を話せる人なんてめったにいない。私だけの武器ができるんじゃないか。そう考え、チェコのプラハに高校2年の8月から高校3年の6月まで滞在した。
高校時代を振り返り「頭ごなしに否定せず、優しく誘導してくださる先生が多く、本当に親身になって相談に乗ってくれました」と話す。そもそも武蔵野女子学院の高等学校に入学を決めたのは、留学のプログラムが充実していたからだ。公立中学校に通っていた際、友人が武蔵野女子学院高等学校の存在を教えてくれ、オーストラリア短期留学など充実した留学制度に興味を引かれた。
「ですから、私にとって武蔵野女子学院での留学はマストだったんです。英語は、英語ができない両親の勧めで7歳くらいのときから勉強していましたし、英語力を伸ばすなら日本で英会話教室に通えばいいかなと思っていました。周りが英語圏のニュージーランドやオーストラリアを選ぶなかで、私だけチェコに行くことが決まって。あまのじゃくなんでしょうね」
そう言っていたずらっぽく笑うダリエさんは、日本を発つ前、チェコの学校でアジアからの留学生として大歓迎される場面を想像した。はるばる日本からやってきた少女に関心を示し、みんながにぎやかに集まってくる──テレビドラマか映画で転校生が現れたときのようなワンシーンを思い描き、十分な準備をしなかった。英語は相応に話せるからなんとかなるだろう。チェコ語は単語帳と指さし会話帳を買って軽く眺めるだけでほとんど満足し、飛行機に乗った。
孤独を味わい、「自分の殻を破らなきゃ」と心を固める
ホストファミリーは手厚くもてなしてくれた。チェコ語をほとんど理解できない少女を、すぐにわが子のように受け入れてくれた。今でも良好な関係は続き、ホストマザーは「あなたに子どもができたら、私は世話をする準備ができている」と言ってくれている。
一方、学校ではもてはやされるだろうという期待は早々に裏切られた。日本では高校にあたるギムナジウムに足を踏み入れると、先生からの最初の紹介はおざなりだし、実のところアジア系の生徒は少なくない。望んでいたような注目は浴びず、あまつさえ孤独を味わった。
「今でも鮮明に覚えている地獄のスタートでした。留学後、最初の1カ月はずっと椅子に座りっぱなしでした。なぜって、誰も話しかけてこないからです。私もしゃべりかけられないし、『思い描いていた展開と違うぞ』と愕然としましたね」
今でさえ笑い話として振り返れるが、2006年の夏は切実な問題だった。何か困ったことがあると、周りは英語で少し助けてくれるだけ。それ以上、先には進まない。椅子に4週間座ったままだったダリエさんは「自分の殻を破らなきゃ」と心を固めた。
「『自分から話しかけないと打ち解けられない』と思って、1カ月が過ぎたころ、震えながら周りに話しかけに行ったのを覚えています。指さし会話帳を持って『これはなんて読むの?』と聞くなど、がんばって『チェコ語を話したいんだ』という意思をアピールしました。周りの環境が変わっても、自分が変わらないと何も変わらないという状況を17歳の夏に初体験したんですが、それはものすごく貴重な経験だったと思います」
同級生との距離は近づいた。けれども、3カ月たっても4カ月たっても、チェコ語はなかなか身につかない。ダリエさんは落ち込みながら、またしても「自分の殻を破らなきゃ」と意を決す。ホストファミリーに「プライベートレッスンの先生を探してほしい」と頼み込み、週に2回ほどみっちり勉強した。学校でも自分でつくった単語カードを繰り返し読み直し、約10カ月の留学期間が終わるころには、チェコ語でほとんど不自由なくコミュニケーションがとれるようになった。
就職活動も「チェコに行けるかどうか」が最大の基準
大学進学後も、毎年チェコに戻った。自分が大きく成長できた場所への愛着が年々深まっていく。それに何より、1年近くとことん親身になってくれたホストファミリーは「第二の家族」にほかならない。ダリエさんにとっては、ホストファミリーの優しさがチェコの最大の魅力だ。
「私の人生って、今振り返るとすべてチェコ一辺倒なんです」と話すとおり、就職活動も「チェコに行けるかどうか」が最大の基準になった。チェコに支社のあるメーカーを洗いざらい調べ、ほぼ満遍なくエントリーした。見事、チェコにつながりを持つメーカーに採用されたものの、2年半で辞める選択をしている。先輩から「女性一人だと危ないからヨーロッパには行かせられないんだよ」と知らされ、希望の糸がぷつりと切れた。
だが、1年半後、プラハから吉報が届く。
「その後、病院の総務部に契約社員として勤めているとき、チェコにいる日本人の友人から『会社を立ち上げるからこっちに来ない?』と誘われたんです。『こんなチャンスはない!』と思い、2016年2月からチェコにいます」
それから7年ほど、ダリエさんはプラハでキャリアチェンジを重ねてきた。友人の会社を離れたあと、日系企業で働き、2022年11月からは現地法人の電子機器メーカーに勤務。「身軽さが自分の持ち味」と話すダリエさんは、プラハ留学時代に自らの意志と行動で「地獄のスタート」を乗り越えたからこそ、今の前向きな自分がいると感じている。
「1カ月間椅子に座りっぱなしで、自分から話しかけようにも手汗をかいてしゃべれない、『拒絶されたらどうしよう』と思うと恐くて話しかけられないという状態がずっと続いていました。でも、『自分の殻を破らなきゃ』と一歩踏み出したら、すっと風景が変わった。私の場合はチェコ留学が間違いなく人生のターニングポイントですし、ですから武蔵野女子学院を選んで本当に良かったと思っています」
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※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
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