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武蔵野キャンパスで過ごした12年間を生かして|小島麻里さん

文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=鷹羽康博

プロフィール
小島麻里 (こじま・まり)さん|地方公務員
東京都武蔵野市出身。1983年3月、武蔵野女子学院高等学校(現 武蔵野大学高等学校)を卒業。 1987年3月、武蔵野女子大学(現 武蔵野大学)の文学部日本文学科を卒業。高校時代には水泳教室に所属し、千葉県の岩井海岸で行った臨海学校は思い出の一つ。武蔵野女子大では2年間研究室にも在籍した。現在は武蔵野市役所に勤務し、管財課長、保険課長、市民活動担当部長などを経て、2022年4月から財務部長を務める。

人は誰もが多くの出会いに「生かされている」という考え方も学んだ

久しぶりに母校を訪れた 久しぶりに母校を訪れた

久しぶりに武蔵野キャンパスに足を踏み入れた小島麻里さんは弾むようにこう話した。

「多感な時期に12年もいるって、すごいと思いません? 13歳でここに入学して25歳で出ていますから、自分の人生において大きい期間だったと思います。楽しい思い出しかないですよ」

小島さんは武蔵野女子学院中学校・高等学校(現 武蔵野大学中学校・高等学校)、武蔵野大学の前身である武蔵野女子大学の文学部日本文学科を経て、同大学の研究室に2年間在籍した。

武蔵野キャンパスで過ごした時間は一般の人より長い。実のところ「家の近くの女子校だったから」というシンプルな理由で入学したものの、振り返ると自分の選択が正しかったと感じられる。「のんびり過ごせましたし、いろいろな経験ができましたし、この学校で良かったなと思います」と笑う。

現在、武蔵野市役所に勤務する小島さんは、生きていくうえでも働くうえでも武蔵野キャンパスでの学びが大きく役立っていると感じている。小島さんは言う。

「やはり仏教教育ですよね。私は高校生のときに聖歌隊に入ったんですが、その活動を通して建学の精神、仏教の考え方、親鸞聖人の考え方をより深く理解できたような気がします。最近は『多様性を尊重する』と言われますが、うちの学校は当時から、人の顔が違うようにそれぞれ考え方も違うということを自然と学べる環境だったと思います。それこそ十代のころに身につけた『いろいろな人がいる』という前提は今、市役所でさまざまな考えを持つ市民の方と向き合うなかで役に立っています」

仏教教育では、人は誰もが多くの出会いに「生かされている」という考え方も学んだ。花山勝友先生の講話は忘れられない。花山先生の話に感激し、武蔵野キャンパスに通っていたころから「ありがとう」や「おかげさまで」という言葉をずっと大切にして生きてきた。

萬葉集と「摩耶祭」に夢中になった大学4年間

卒論のテーマは大伴家持だった 卒論のテーマは大伴家持だった

高校時代には生涯夢中になれるものにも出合った。高校2年生のとき、国語の授業で萬葉集にすぐに魅了された。「萬葉」の名のとおり、ここでも現存する日本最古の和歌集が記録した多様性に惹かれた。高校3年次には古典の授業で萬葉集を選択した。

「萬葉集は今も趣味で読んでいます。天皇や貴族の歌だけでなく、防人の歌、庶民の歌など、さまざまな思いが記されているところに引きつけられました。文学部の日本文学科を選んだのは、大学でも萬葉集を勉強したいと思ったからです。並木宏衛先生に師事して、大学4年のときには大伴家持をテーマに卒業論文を書き上げました。大伴家持が歌った萬葉集の最後の歌、『新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事』は「初春の今日、降り積もる雪のように良いことが重なるように」という意味ですが、この歌は今でも好きですね」

萬葉集の研究に励む一方、大学の一大イベントにも力を注いだ。1年生のときに大学祭にあたる「摩耶祭」の実行委員会に加入。2年生のときには実行委員長を務め、3、4年生のときには下級生のサポートに回った。近隣の企業などからパンフレットに載せる広告と協賛を集めたり、著名人やミュージシャンを招いたりと、周りと協力して年に一度の行事を切り盛りした。小島さんは振り返る。

「何もないところからつくり上げるのが、とても楽しかったです。ちょうど女子大生が注目を集め出した時期だったので、ラジオに出たり、雑誌の取材を受けたり、自分の知らなかった外の世界に触れられたのもいい経験でした。実は摩耶祭の活動を通して身につけた『段取り力』は社会人になってもすごく役立っています。市役所はイベントを手がけることが多いじゃないですか。そうした行事を運営するときなどに大学4年間の経験が生きていますね」

研究室での2年間を経て、武蔵野市役所に転職

萬葉集と「摩耶祭」に夢中になるあまり、就職についてはあまり考えていなかった。そんなとき、短大を卒業したあと武蔵野女子大学の職員になっていた同級生から「研究室で人を募集しているから、就職が決まっていないなら受けてみたら?」と声をかけられ、その気になった。試験を受け、見事合格。並木宏衛先生と増田正造先生の研究室に携わることになった。

「学会があれば学会のお手伝いをしたり、先生の取材があれば取材の手配をしたり、先生の秘書的なこともやらせていただきました。一方で、研究費も出ていましたし肩書きも教員だったので、自分の研究もしていました」

研究室に入ってから2年、転身を決意する。「地域で長く働きたい」と思い、武蔵野市の職員募集の職員採用試験を受け、採用された。小島さんは言う。

「私は司書資格を持っていたので、図書館に配属されるのではと思っていたのですが、最初に配属されたのは収入役室出納課という会計事務を行うところでした。大学の専攻は法律や地方自治ではなかったので、基本的な知識を身につけながらやっていくのは厳しかったですね。ただ、武蔵野市役所は3、4年に1回、異動がありました。そうすると、仕事を理解するため最初から勉強のやり直しでしたが、多くの経験を積み重ねることができたと思っています。さまざまな部署を経て、2022年の4月からは財務部長を務めています。いろいろな業務に携わることができるのが地方公務員の醍醐味だと思いますよ」

武蔵野市で生まれ育ち、武蔵野キャンパスに12年間通った。武蔵野市を思う気持ちは人一倍強い。だからこそ、さまざまな立場から地元に貢献し続けられている。

※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。

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