文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏
横山由美子(よこやま・ゆみこ)さん|非営利団体勤務
東京都出身。1978年3⽉、武蔵野⼥⼦学院⾼等学校(現 武蔵野大学高等学校)を卒業。中学時代はESS(英語研究会)に所属し、みんなでカーペンターズの曲を歌ったのが思い出の一つ。高校時代は文芸部に在籍し、夏休みに岩手県遠野市を訪れて文学的なフィールドワークを行った。現在の趣味はウオーキングや登山。コロナ禍前は年に2回山登りを楽しみ、富⼠登⼭も経験している。「この記事掲載を機会に、ぜひ同窓会を開催できたらうれしく思います」と話す。
少しだけ脱線した青春時代
1970年代のある日、吉祥寺にあるターミナルエコービルの屋上で二十歳そこそこの西城秀樹が歌っている。商業施設のステージで新曲を熱唱するアイドルに声援を送る一人に、学校帰りの横山由美子さんがいた。こっそりと校則を破っていた。
「秀樹のファンだったんですよ。校則が厳しいので本当はだめなんですけど、制服のネクタイと校章を外して何回か行きました。友だち2、3人と、高校2、3年生のころですね」
あるとき、大好きな秀樹に熱狂したあと、吉祥寺の街で学校の先生とばったり会ってしまった。思わぬ出来事に心臓が止まりそうになる。当然のごとく、翌朝呼び出しを受けて存分に絞られた。「そんなこともございました」と笑って振り返られるのは、叱られた場面も大事な思い出の1ページだからだろう。
「校則破り」はもう一つある。校則で認められているのは革のバッグのみ。けれども、スヌーピーのバッグが流行っていた。「みんな持っていたんですよね。私ももちろん使っていました。スヌーピーを隠すようにして持ち歩いていました」と話す。
中学時代にさかのぼれば、先生にいたずらをしたこともある。新任で男性の先生が入ってくると、数人で教卓の内側にチョークを忍ばせた。先生が立つと太もものあたりがチョークの粉で汚れてしまう仕掛けだ。気づかずに授業を進めたり、慌てたりする先生の姿を見て、みんなで大笑いした。
武蔵野女子学院中学校・高等学校(現 武蔵野大学中学校・高等学校)で6年間の思い出と言えば、お数珠と礼讃抄だという。透明の珠に紫色の紐房のお数珠を左手に持ち、毎日、正門で一礼する。まじめな生徒だったけれど、少しだけ脱線した。それが横山さんの青春時代だった。
先生に恋心を抱いた高校時代
「ただただ楽しく過ごした6年間でした」と話す横山さんの青春は、淡い恋心にも彩られている。
実のところ、日本列島を席巻していた西城秀樹より心を引かれた人がいる。高校時代、教頭の栗原勉先生に恋をした。「なんと言っても女子校ですからね」と、横山さんの表情が華やぐ。
「高1のときはほとんど存在を知らなかったのですが、高2、高3と、英語の授業が栗原先生だったんです。とにかく引きつける授業をしてくださって、声のトーンも素敵で、すぐに『あっ!』と思ったのですね。たまにしてくれる雑談も大変おもしろくて、授業があっという間に終わってしまい、とても残念な気持ちになりました」
初恋だった。憧れの先生と過ごす時間は楽しくて、特に英語の勉強は頑張った。授業中には意欲的に手を挙げ、良い成績を収めてみせた。
その気持ちを伝えるべく、実際に行動にも移した。高校2年と3年のとき、バレンタインデーにチョコレートをプレゼントした。横山さんは懐かしそうに振り返る。
「バレンタインデーのプレゼントは人生で初めてでした。箱に赤いリボンを巻いて、でも恥ずかしくて直接は渡せないのですよ。メモを入れて先生の下駄箱に置いて。そして、そのお返しがちゃんと届いたのです。白地にお花が描かれたハンカチで、ずっと大事に使っていましたね」
大好きな先生だったから、愛用していた車の名前も忘れられない。栗原先生は、いすゞの「117クーペ」という車に乗っていた。愛車の前で一緒に写真を撮ってほしいとお願いすると、快くうなずいてくれた。駐車場で憧れの先生と並んで収まった写真は今でも大切な宝物だ。二人だけで写った写真を見返すたびに、当時の甘酸っぱい気持ちがよみがえってくる。
40歳を過ぎたころ、友人に誘われマラソンに挑戦
好きだった場所は校舎の中庭だ。休み時間に仲のいい友だちと集まって他愛もない話をしたり、昼食を食べたりした。そのときの仲間とは今でもつながっている。
「みんな中学から一緒で、クラスは違ったんですけれど、血液型が全員O型でウマが合ったのです。今でも女子会みたいな感じで、何人かでご飯に行くことがあります。一人はアメリカに住んでいるんですが、日本に帰ってきたときは会うようにしています」
中学時代はESS(英語研究会)、高校時代は文芸部に所属していた。けれども「どちらも遊び感覚でした」と苦笑いを浮かべる。中高の6年間で何かに打ち込んだ経験がないことがずっと心に引っかかっていた。「私って一生懸命に努力して何かを成し遂げたことがないな」と思い続けて40歳を過ぎたころ、知り合いに誘われマラソンに挑戦。まずは10キロの大会に参加し、1時間ほどで完走できた。横山さんは笑みをこぼす。
「『これだ!』と思いました。自分自身との戦いのなかでの達成感がものすごく気持ちよかったのです。東京マラソンにも2度参加して、どちらも完走しました。42.195キロはさすがにつらいものがありますけれど、『私にもできることがあるじゃん!』と思えて、自信になりました。今はウオーキングを楽しんでいます。東京マラソンのコースを歩くイベントにも中学からの親友と参加し、8時間で完歩しました」
30歳になる前から26年間、半導体製造会社の役員の秘書を務め、現在は⾮営利団体に勤務する。武蔵野女子学院中学校・高等学校で学んだ仏教の教えは仕事と向き合ううえでも役立ってきたという。
「人を思いやる気持ちや感謝の気持ちは中高の6年間で培ったものです。私の周りには心安らぐ人たちがたくさんいて、仕事もうまく回ってきました。それは自分自身のなかに仏教の平穏な考え方が根づいているからだとも思うのです」
※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
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