文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、小黒冴夏
川野友里花(かわの・ゆりか)さん|武蔵野大学教育企画部学外学修推進センター事務課勤務
東京都出身。2018年3月、武蔵野大学グローバル・コミュニケーション学部グローバル・コミュニケーション学科を卒業。「留学⽣も多く、日本にいてもいろんな国の方と交流できるところがいいなと思い武蔵野大学を選びました」。1年次の基礎セルフディベロップメント(現在のフィールド・スタディーズ)では八丈島を訪問。2年次の10カ月のアメリカ留学では英語力とともに積極性も身についた。有明キャンパスの3号館にあるロハスカフェARIAKEは思い出の場所で、卒業後も友人たちと訪れている。ディズニーが好きで、学生時代は年間パスポートを購入して東京ディズニーリゾートによく足を運んでいたという。
「恩返し」のために母校の武蔵野大学に転職
思いっきり支えられた経験があるから、今度は力いっぱい支える側として武蔵野大学に戻ってきた。
2022年11月、2度目の転職で母校の教育企画部学外学修推進センター事務課に入職した。ずっと母校の求人をチェックしていたという。現在は有明キャンパスの職場で、主に短期留学や、日本語教師になりたい学生向けの海外インターンシップ、学外学修プログラムであるフィールド・スタディーズの手配に携わる。
2018年3月にグローバル・コミュニケーション学部グローバル・コミュニケーション学科を卒業した川野友里花さんは、穏やかな笑顔で話す。
「在学中から留学関連の仕事をしたいと思っていたんです。いつかは武蔵野大学で働きたいという気持ちもありましたし、今は大きなやりがいを持って仕事ができています」
川野さんは今回のキャリアチェンジを「恩返し」と表現する。学生時代は1年次にカナダのカルガリーで短期留学を経験。2年次にはグローバル・リーダーシップ・プログラムを利用してアメリカのアイダホ州にあるルイス・クラーク州立大学で学んだ。3年次にはベトナムとインドでインターンシップに参加している。海外での学びが多かった学生生活を、武蔵野大学は全力でサポートしてくれた。
「国際課の方には留学前やインターンシップ前の不安を解消していただくなど、本当に助けてもらいました。特にアメリカでの長期留学の際はものすごくお世話になりました。何かトラブルに遭った際には、本当に丁寧に助けていただきました。その姿が頼もしくて、いつか自分も同じように海外に行く母校の学生たちをサポートしたいという気持ちが芽生えたんです」
その夢を視野に入れ、一度目の転職先には旅行会社を選択した。留学関係の仕事に携わり、自身の留学経験と職務経験を生かして母校に恩を返す機会が訪れるのを待った。そして2022年の夏、大学が求人を募集していることを知り、迷わず応募した。
全国学生英語プレゼンテーションコンテストで2次予選突破
そもそも高校時代に武蔵野大学に照準を定めたのは、充実した留学制度に魅力を感じたからだ。大学生活では海外で英語を学びたいと考えており、武蔵野大学のグローバル・コミュニケーション学科は理想の場に思えた。小さいころから英語を話せる父親に連れられ何度か海外を訪れており、世界に憧れがあった。
もっとも、入学して最初のカナダ留学は反省ばかりが残った。カルガリーでの短期留学を、川野さんは苦々しそうに振り返る。
「せっかく英語に浸れる環境に行ったのに、英語ができる友だちの陰に隠れるようにして過ごしていたんです。武蔵野大学から日本人の学生が10人ぐらい⼀緒に行っているので、そこで日本語に甘えてしまうところもあって、本当にもったいなかった。英語力という面で⾒たら、挑戦する気持ちが全然足りていなかったと思います」
そうした自省を次のチャンスには生かした。2年次に訪れたアメリカでの10カ月では「日本語は絶対にしゃべらないと決めました」。語学学校で半年を過ごし、ルイス・クラーク州立大学で学ぶにあたっては、日本人とも英語で話し、アメリカ人のコミュニティーに自ら飛び込んだ。
最初の半分はホームステイで、残りの半分は大学の寮でアメリカ⼈学⽣との2人部屋で過ごした。「絶対に英語を操れるようになる」というチャレンジは実を結び、パブリックスピーキングという大学の授業では、約50人の現地学生を前に英語で自分のことや考えを発表することができた。
英語力の成長とともに印象に残っているのがゼミでの挑戦だ。ゼミの主な内容はビジネスに関する事柄を英語で発表するというもの。自分の好きな企業を⼀つ選び、その会社の新規事業を考えるという時間もあった。新たなアイデアは大学外でも一定の評価を得た。
「3年生のとき、友人と2人で全国学生英語プレゼンテーションコンテストに出場しました。サウジアラビアに『アバヤ』という女性の伝統的な衣装があるんですが、これが全身黒なので日光を吸収しやすく、ものすごく暑くなってしまう。ですので、その理由を含め、ビジネス英語を使って、汗を速く乾燥する機能があり、肌に触れるとひんやりと心地よい素材を使ったアバヤの生産を提案しました。全国のコンテストで2次予選まで突破できたのはいい思い出です」
アメリカで培った挑戦する姿勢を生かし、仕事の幅を広げたい
思い出と近況を聞いたのは2023年6月30日。学生時代にもよく通ったという有明キャンパス3号館のロハスカフェARIAKEで話す表情はとことんまぶしい。川野さんは「無我夢中な半年でした」と振り返る。
自身はベトナム、タイ、台湾の大学を担当しており、登場人物が非常に多い点に骨を折ることも少なくないと話す。2023年度は複数の大学を受け持っているが、その⼀つひとつの協定校に先生方が複数いて、事務の担当者もそれぞれいる。さらには、旅行会社ともやりとりをしなければいけない。たくさんの思いや考えをまとめる調整は決して容易ではない。
「ただ、後輩たちのサポートがしたいという思いで転職しましたし、それができているので楽しいです。帰ってきた学生たちから『楽しかった』『行って良かった』という声を実際に聞くと、やはり大きな達成感を感じますね」
曰く「武蔵野大学は自分がやりたいと言えば、できる範囲でやらせてくれる場所」。アメリカで培った挑戦する積極性を生かし、学外学修推進センターでの取り組みの幅をさらに広げていきたいと考えている。⾃分が⻑期留学でお世話になった部分もあるから⻑期留学に⾏く学⽣たちもサポートしたいし、新たな協定校を切り開いてもみたい。
力いっぱい支える側として母校に戻ってきた卒業生の挑戦が、武蔵野大学の新たな歴史をつくっていく。
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※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
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