文=菅野浩二(ナウヒア) 写真=本人提供、鷹羽康博
日山紗智子(ひやま・さちこ)さん|文部科学省後援 日本書写技能検定協会 東京都審査委員
東京都杉並区出身。武蔵野女子学院中学校・高等学校(現 武蔵野大学中学校・高等学校)で学び、2000年3月に武蔵野女子大学(現 武蔵野大学)の文学部英米文学科を卒業。中高時代には文化系の部活と運動系の部活の両方を経験した。2015年に硬筆書写技能検定の1級合格、2016年に毛筆書写技能検定の1級合格。現在は文部科学省が後援する日本書写技能検定協会の東京都審査委員を務める。趣味は旅行や食べ歩き。ディナーショーに足を運び、リラックスを図る。愛犬のごん太と過ごした思い出を大切にしている。
書道の講義が受けられず、文字への思いがより強まる
日山紗智子さんは書字の達人だ。文字について語るとき、言葉が勢いづいた。
「漢字の横線には3種類あります。右上に反り気味のものと、少しだけ右肩上がりのものと、アルファベットのSを横にして伸ばしたようなものの3つで、どの横線もこのどれかに当てはまります。縦線も同じように種類があって、それらをしかるべき位置で一本一本組み立てていくと、綺麗な字が書けるようになる。それから、空白が多いひらがなは膨張色なので小さめに、隙間が少なく凝縮されている漢字は収縮色なので大きめに。それを意識するだけで文章がバランスよく綺麗に見えます」
「『本』という文字は正方形ではなくて正六角形をイメージして書きましょう、など私は理詰めで教えています」と話す日山さんは、文部科学省が後援する日本書写技能検定協会の東京都審査委員を務めている。硬筆書写技能検定と毛筆書写技能検定の受験者の文字を審査したり、合否の判断を下したりするのが主な役割だ。「文字の目利き」と言っていい。
文字への思いは武蔵野女子大学(現 武蔵野大学)時代にさかのぼる。硬筆書写技能検定と毛筆書写技能検定を受験する書道の講義があった。小さなころから書道に親しんでいた日山さんは、しかしこの選択科目を受講できなかった。
「受講できる定員に対して希望者が多すぎて、抽選になったんです。それで私は抽選に落ちてしまって……検定の合格資格は履歴書に書けるというのもあって、人気だったんですね。パソコンが普及し始めた時期だったんですが、こんなに直筆で書きたい人がいるんだと驚きでした」
書道の選択科目から漏れた悔しさが、より思いを強くさせた。日本語を綺麗に書く文化を残していきたい──資格を取得するだけでなく、教える側に回りたいという決意を固めた日山さんは、武蔵野女子大学を卒業してから約10年後、「社会人の学び直し」を実行に移す。
独学で書字に向き合い、2015年に硬筆書写技能検定の1級合格、2016年に毛筆書写技能検定の1級合格を果たした。夢を叶え、現在は葛飾区と江戸川区で人材バンクの教師を務め、書写などの指導にあたる。総合筆記具メーカーである株式会社パイロットコーポレーションが手がける「ペン字楷書お名前通信講座」の添削講師としても活動している。
「誰かを助けたいという気持ちはいつも持っています」
中学から大学卒業まで、武蔵野キャンパスで10年間を過ごした。母校の特徴は「得意を伸ばしてくれる環境」だと言う。生きるうえでのヒントや道しるべを示してくれる学び舎であり、中高時代のささやかな出来事が現在につながっている。
「中高時代、体育祭や学園祭で何か書くものがあるとよく先生にお願いされていたんです。そうすると、自信が出てきて前向きに取り組めますよね。先生からの言葉が文字を書くことのモチベーションになっていました。英語が褒められて英語のスピーチをやらせてもらって、イギリスに留学した友人もいます。絶対に否定することなく、しなやかに肯定してくれる。その包容力は仏教の教えならではのものだったと感じています」
相手を肯定することは相手を認めることでもあり、相手を認めることは相手を応援することでもある。武蔵野キャンパスで施してもらった寛容さや思いやり、慈しみの心にはずっと感謝し続けている。卒業後は、今度は自分が応援する番だと思い、たとえば2011年3月11日に東日本大震災に見舞われた福島県の復興を支援。地元まで足を運び、原発事故のあと、風評被害によって農作物や水産物が売れなくなった福島県をサポートした。
日山さんは「誰かを助けたいという気持ちはいつも持っています」と話す。誰かに手を差し伸べるに際、常に心がけているのは、大学時代、濱島義博先生に教えてもらった「たった一言が人の心を傷つけて、たった一言が人の心を温める」という言葉だ。⼀⾔の大切さを説く教えが人生における道しるべになってきた。自分が10年間でしてもらったように、文字を教える際はむろん、向き合う人を決して否定せず、温かい言葉で優しく肯定する。おおらかに受け入れ、心を込めて背中を押す生き方をずっと続けてきた。
「文字を指導するチャンスがあればとてもうれしいです」
自然豊かで穏やかなキャンパス、高校時代の体育祭で扇を持って舞った「荒城の月」、大学時代に経験した英語の家庭教師のアルバイト、大学の文学部英米文学科で経験したオールイングリッシュの授業、心を開いて話せる先生たち……10年間の思い出は尽きない。
人格形成に大きな影響を与えた母校には、今でも応援されている感覚がある。日山さんは言う。
「大学の同窓会として『むらさき会』という組織があるんですが、その会誌の『むらさきたより』に毎回のように掲載してもらっているんです。卒業してずいぶんたつのに、文字を書いたり、指導したりする仕事に光を当ててくださっている。私の過程を追っていただいているし、『頑張れ!』と後押しされるような気がして本当にありがたいです」
10年ほど前、ふと思い立って武蔵野キャンパスを訪れた。武蔵野女子大学は武蔵野大学に変わり、共学化され、学部も増えた。それでも、構内には見覚えのある風景がいくつも残っている。
懐かしさを感じながら、10年間歩いた並木道を再び通り過ぎた日山さんは、その後、自分なりのかたちで母校に恩返しできないかと考えている。日本書写技能検定協会の東京都審査委員を務め、葛飾区と江⼾川区で書写などの指導を行い、株式会社パイロットコーポレーションが運営する「ペン字楷書お名前通信講座」の添削講師を担う自分にこそできることがある気がしている。
「文字を書くことで脳が活性化されると言われています。ゆっくりと字を書くことで心が穏やかにもなります。綺麗な文字で損をすることはないですし、学生向けの講義や社会人向けの生涯学習講座などで文字を指導するチャンスがあればとてもうれしいです」
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※記事中の肩書きは取材当時のものです。また、学校名は卒業当時の名称です。
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